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修徳寺

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修徳寺は、“修学と徳性を練磨する道場”、即ち禅法を寺院の正体として寺格を高めてきた。それに鏡虚禅師、満空禅師を中心として韓国の近代禅風を振作して1984年には徳崇叢林に昇格させた。修徳寺には、わが国で最も古くなった建築物の中の一つである大雄殿(国宝49号、高麗忠烈王34年(1308))があり、百済から始まったこの地域の仏教の源流と、時代とともに変化してきた過程を伺える本末寺の仏教文化財600余点を所蔵•展示している槿域聖宝博物館がある。

興りについての正確な記録は遺されていないものの、境内より百済の瓦が出土したことから、その起源は三国時代(紀元前1世紀~7世紀)の末期に遡るものと考えられている。一説によれば、百済の智明なる僧の開基で、599年に創建に至ったものという。

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高麗の時代(918年~1392年)に今にも残る伽藍の配置が形作られ、同時代中の1308年にはその後に国宝の指定も受ける『大雄殿』が建造された。

やがて1865 年に宋満空禅師が復興を行い、これにより禅宗の修業道場となった。

時は下って1970年代になり、『一柱門(いっちゅうもん)』、鐘楼、『金剛門』などが建造され、今に示される当寺の寺観がしだいに形成されていった。

伽藍は徳崇山一帯を占有するもので、その山中に幾つかの子院や庵を有し、その門前には門前町を形成している。柱に如意珠を咥える竜頭を刻む『徳崇山修徳寺』と書かれた『一柱門』を入ると、高麗の時代の造営という石段にぶつかり、『祖印精舎(そいんしょうじゃ)』、太鼓楼、1973年落慶の鐘楼、高麗時代の建造という三層石塔などを配置する境内に到る。その奥に『大雄殿』を配する庭があり、僧の修行の場たる『青蓮堂(しょうれんどう)』に加え、七層石塔、『白蓮堂(びゃくれんどう)』などの事物を内に置いている。

>創建日付 : 384年(百済枕流王元年)

住所 : 忠清南道礼山郡徳山面斜川里20番地

電話番号: 82-41-337-6565

ホームページの住所 : http://www.sudoksa.com

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