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向原寺(豊浦寺跡)

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002-7.gif縁起

 552年(欽明天皇13年)百済の聖明王が金銅の釈迦佛(日本初渡来の仏像)を朝廷に献上します。宮中ではこの尊像を信奉すべきか否かの評議が開かれ、大臣蘇我稲目は生身の如来であるこの尊像を信受することを奏上し、大連物部尾輿 中臣鎌子は異国の蕃神として退けることを主張しました。 欽明天皇は蘇我稲目にこの尊像をお預けになりましたので稲目は我が家に如来をお移しし、やがて向原の家を寺に改め如来を安置し、これが我が国の歴史に残る仏寺の最初で向原寺といいます。

 その後疫病が流行し、「仏教崇拝による日本古来の神の祟り」という理由で、物部尾輿により仏像は 「難波の堀江(日本書紀)」に捨てられ、寺は焼却されてしまいます。

豊浦寺

 593年日本最初の女帝推古天皇が豊浦(向原寺跡)で即位、10年間ここに豊浦宮をおきます。603年に宮を小墾田(おはりだ)に移すにあたり、宮を蘇我馬子が譲り受け豊浦寺を創建します。豊浦寺は日本で最初の尼寺だったようです。このころ、天皇の甥である厩戸(うまやど)皇子(聖徳太子)などにより、冠位十二階の制が定められ、604年には憲法十七条が制定されます。

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  後世、この日本初渡来の仏像が、一光三尊の阿弥陀如来佛として信濃の善光寺縁起として登場します。(善光寺のページを参照して下さい)。この仏像は、江戸時代に池から発掘され、向原寺に安置されてい ましたが、戦後盗難に遭い、今は、行方不明といいます。この話が本当だとすれば、善光寺の秘仏一光三尊仏は、後世に作られた別のものということになりますね。

住所 奈良県高市郡明日香村豊浦630

交通 近鉄橿原神宮前駅より奈良交通バス岡寺行き豊浦下車

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