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マトゥラーの彫像

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インド神話で、ヴィシュヌの化身(アヴァターラ)とされるクリシュナの生地とされている。誕生したとされる場所にはクリシュナ・ジャナムブーミという寺院が建立されている。『バーガヴァタ・プラーナ』によると、ヤムナー川はクリシュナが退治した毒蛇の王『カーリヤ』の住処であったとされ、カーリヤが川を去ることで清浄な水を取り戻したという。ヤムナー川は下流の都市イラーハーバード(アラハバード)でガンジス川へと合流する。

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欄楯(らんじゅん)柱(2世紀・カンカーリー・ティーラー出土

古代において重要なキャラバンルートの分岐点に位置し、交通・経済の要所だった。 紀元前6世紀の十六大国時代にはシューラセーナ国の首都となった。その後統一を果たしたマウリヤ朝、およびそれに続くシシュナーガ朝の支配を受ける。 クシャーナ朝の下ではカニシカ王によって副都となる。

紀元1世紀にはこの地にジャイナ教徒がいたことが考古学調査からわかっている。また古来より仏教徒が多く住し寺院も建設され、クシャーナ朝時代にガンダーラとは異なる独自の仏像様式も生んだ。しかし8世紀頃よりヒンドゥー教に勢力が取って替わられた。 1017年、イスラム系のガズニー朝によるプラティハーラ朝への侵攻で街は蹂躙され寺院や彫像も破壊された。

16世紀、ヒンドゥー教の学者達によりこの地がクリシュナの生誕地であるとされた。

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流れるような衣の線がなんとも美しい

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結跏趺坐のブッダ像

マトゥラーは古代インド(マウリヤ朝~グプタ朝期)における美術・仏像の町といわれている。同時期に発祥し、ギリシャやペルシャ、インド等の影響を受けたガンダーラ美術とは異なり、「マトゥラー美術」と称されるそれは土着的なインド特有の美術様式を備えている。特にインド中部における仏像製作に関しては中心ともいえる都市であった。マトゥラー美術はグプタ朝時代に最盛期を迎えたが、5世紀頃に侵攻して来た遊牧民エフタルによる仏像破壊によりその幕を下ろすこととなる。

画像はkawai51.cool.ne.jp/delhi-b7-n.htm から

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