キリスト教は、この世における生活や「家庭」に、重大な意義を認めるのです。神がアダムに、エバをお与えになったのは、「夫婦」をつくるためでした。神が人を、男と女に創造されたのは、両者の間に「家庭」をつくるためでした。「家庭」は、神がつくられました。聖書にはこう書かれています。
「……それで人はその父と母を離れて、妻と結び合い、一体となるのである」(創世記二・二四)
「彼らはもはや、ふたりではなく一体である。だから、神が合わせられたものを、人は離してはならない」(マタイの福音書一九・六)
このように、「父母」、またその子どもたちの「結婚」や「夫婦生活」は、すべて神によって、創造されたものです。そのためクリスチャンは、結婚や家庭生活には大きな意義があると主張します。
もっとも、クリスチャンの中に、生涯にわたって結婚をせず、独身を通す人がいないわけではありません。カトリックの神父やシスターなどは、生涯独身で通します。彼らは、自分たちの場合は、家庭を持たずに独身者として神に仕えたほうが、さらに良い奉仕ができると考え、自発的にそうしているのです。家庭生活の大切さを、否定しているわけではありません。
一方、プロテスタントの牧師や伝道者の場合は、一般に自ら結婚をして、家庭を持ちます。彼らは、家庭をつくることが自分たちにとっても大切であると考えて、そうしているのです。
どちらの場合も、自発的な意思と、自由な考えによるものです。家庭生活を大切にするということでは、カトリックもプロテスタントも変わりありません。キリスト教では、家庭は神の豊かな祝福の宿り得る場である、と考えます。麗しい健全な家庭をつくることは、クリスチャンにとって一つの大きな目標です。
クリスチャンは、夫婦の完成は神・男・女の三者が、お互いに愛によって強く結ばれ、いわば”三位一体”になることにある、と考えています。また、家庭の完成は、神・親・子の三者が、お互いに愛によって強く結ばれ、”三位一体”になることにある、と考えます。「家庭の完成」は、神が人を創造された目的の一つです。キリスト教は、家庭の放棄ではなく、むしろそれを完成させるべきことを説くのです。
「家庭」は、人類存続の基本単位です。家庭なくして、どうして人類があり得ましょうか。
真の宗教は、家庭という最も基本的な生活の場にこそ、永続的な幸福を追求するものでなければなりません。家庭は、幸福の獲得を妨げるものではなく、人間として一つの基本的な幸福を建設し得る場であると、クリスチャンは考えるのです。
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