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『日本神道史』

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公的な神と私的な信仰、二つの方向性

神道というと、戦前の強烈な国家神道の記憶があって、なかなか真摯(しんし)な研究や関心の向かない領域であった。そのため神道の歴史を古代から現代にいたるまで通史的に叙述することはあまりなされてこなかった。

 しかし最近になって神道をきちんと位置づけてゆかないと、日本人の精神史にはじまり思想史・政治史・文化史・社会史など広い領域にわたる研究は難しいことが明らかになってきて、多方面から関心が向けられるようになってきている。

 そうした関心に応えたのが本書である。神道の定義にはじまる「神道とは何か」という第一部、原始古代から近代にいたるまでの神道の歴史を叙述した第二部、そして神社分布と神道の現在を探った第三部から構成されている。

 第一部では、そもそも神道という概念の定義についてさえもが論者間で食い違いが認められることを指摘して、五世紀頃(ごろ)から神道の始原があるが、律令国家によってはじめて神道が体制的に成立したとして、その歴史を描いてゆくとする。

 その際に神道史には二つの方向性があったと見る。一つは国家・公的性格としてのもので、その性格が天皇を祭祀(さいし)の中心に位置づけてきて、現代にいたるまで常に意識されてきた。もう一つは個人意識のなかでの私的な性格で、それが庶民信仰として展開してきたという。

 古代の律令制や近世の幕藩体制、明治の国家体制による神道の扱いなどは、まさに前者の性格に基づくものであり、第二部では、その点についてしっかり記されている。しかしそのことにばかり目がゆくと、神道の歴史は一面的になってしまうことになる。

 後者の性格にもっと目をむけて探る必要があり、その点で宗像(むなかた)の沖ノ島や三輪山の祭祀遺跡に関する神道考古学の成果を示しているのは重要で、それと律令祭祀がどう関係するのか、今後の研究が期待される。

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 また古代の神は祟(たた)りをなす存在で、それを鎮めるために様々な祭祀がなされてきており、外来の仏教信仰もそれに関(かか)わって神仏習合という形をとって広まった。続いて天神や若宮などの新たな神信仰が庶民の信仰を獲得してゆくことになる。

 それは神社が常に庶民信仰の受け皿になってきたからであり、鎌倉時代の新仏教にとっても神道信仰との関係は大きな課題とされ、一遍の時宗はそれを積極的にとりこんでいった。

 問題となるのは、中世後期から伊勢神道や吉田神道以下の多くの神道理論が出現したが、この神道理論を提唱した理論家たちの活動が神道史の二つの方向性とどう関わるのか、媒介する役割を果たしたのか、どうかである。

 第三部では神社の数や地域分布などいくつもデータを提供している。たとえば明治三十九年(一九〇六)に二十万ほどあった神社が、大正六年(一九一七)には十二万社ほどに激減している。こうなったのは国家によって神社整理が強力に行なわれたためで、その後はほぼ横ばいであったものの、戦後の昭和二十五年(一九五〇)には再びさらに九万弱にと減っている。国家は神社をいつも保護していたわけではなく、むしろ整理し、管理しようとしてきたことがうかがえるのが興味深い。

 本書では庶民信仰史としての神道史については枚数の関係もあって、十分に展開しきれていない面があるとはいえ、神道史の基礎的な見方を提供して意義あるばかりか、今後の神道史の方向性を示唆し、研究を促すに足る好著といえよう。

毎日新聞 2010年7月11日 東京朝刊

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