ホーム Billet du jour 第5回伝統文化継承トークフォーラム 平和と環境、神社が象徴

第5回伝統文化継承トークフォーラム 平和と環境、神社が象徴

29
0

(司会はTBSアナウンサーの秋沢淳子さん、写真は阿部雄介さん)

◇森の保存、努力が必要--新木宮司
◇人間の小ささ、実感--シアゾン大使
◇寛容なフィリピン人--和子夫人
◇踊り通じ、文化交流--葵家元

--大使は学生時代に日本に留学されていましたが、印象はいかがでしたか。

 ドミンゴ・シアゾン大使 50年も前のころでしたので、お金はなかったけど、国民が一生懸命国づくりをしていました。同級生たちは友情に厚く、そのおかげで私は卒業できたようなものです(笑)。日本が好きになって日本に残り、日本人と結婚もしました。

 和子・シアゾン夫人 結婚以来、フィリピンの恵まれない子供たちを支援してきました。第二次世界大戦後、日本人の男性とフィリピンの女性との間にできた多くの子供たち(ジャパニーズ・フィリピーノ・チルドレン)が恵まれない環境にあるという問題に気づき、4年前からは教育面の支援をしようと、主人からの資金を元に基金をつくり子供たちに奨学金を支給する活動をしています。

 --下鴨神社といえば葵祭が有名ですが、神社の由来などを教えていただけますか。

 新木直人宮司 市民のみなさんに親しまれている葵祭は5月15日の牛車をひく行列で有名です。今年で1446年ですが、京都に都ができる前から行われていました。下鴨神社は、崇神天皇の7年(紀元前90年)に神社の修造がおこなわれたという記録があるので、それ以前から祭られていたと思われます。1994年には下鴨神社を含む京都の歴史的文化財が一括して世界文化遺産に登録されました。本殿2棟は国宝、社殿52棟は重要文化財です。昨年、神社を訪れた人は150万人に上りますが、3分の1は外国から来られた人たちでした。

 --奈良も今にぎわっていますが、家元は先ごろの東大寺の式典では、大切な舞台を務められたとか。

447-2.gif
 葵七皆家元 大僧正とは

長年のお付き合いがあり、光栄なことに新別当就任のお祝いに招かれ、踊らせていただきました。葵祭はお能の「葵の上」という演目にもなっておりまして、源氏物語「葵の巻」に登場する六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)と葵の上とのいさかいを記した“車争い”の一節が有名ですね。いつしかこれを私が日本舞踊に振り付け直し舞ってみたい。そんな思いもあって、葵祭は、かねてとても心ひかれるお祭りです。

 --フィリピンの宗教的お祭りはどういうものがありますか。

 大使 圧倒的にキリスト教の祭りが多い。クリスマスは12月16日から25日まで毎日礼拝があります。春にある復活祭では地方から出てきた人は田舎に帰ります。それとイスラム教の信者も人口の6%いるので、ラマダンやメッカ巡礼も行われています。花がきれいな5月には「フローレス・デ・マヨ」といってパレードや美人コンテストが人気の祭りもあります。

 夫人 どのお祭りであっても、神に感謝することでは同じです。その表現方法が衣装や音楽、踊りなどで違いますね。

 家元 ええ。特に日本とフィリピンは同じ農耕民族なので自然や祖先に感謝する踊りという共通点があります。ただフィリピンは長い間、スペインの植民地だったので、華やかな感じがありますね。

 大使 確かに明るく、動きが速いスペイン風の踊りが多いです。日本では1人で踊ることが多いが、フィリピンではグループの踊りが多い。

774.gif
 --大使にとって神道のイメージと下鴨神社の印象はどのようなものですか。

 大使 非常に自然に近いイメージが神道にはあります。こうしてはいけないという規則もあまりない。神道は人間にむいているのではないかとも思います。下鴨神社は何百年も前の大きな木があり、伝統ある建物がたくさんあって感激しました。自然の前では人間の存在がいかに小さいかがわかる気がします。

 夫人 ここに来ると神様の存在を再認識できると感じます。人間はいかにもろいものなのか、自然や神は永遠であり、それゆえに畏敬(いけい)の念を抱きます。

 --大使は神社にお参りにいかれるのですか。

 大使 靖国神社の隣に自宅があるので散歩すると毎日お参りすることに……(笑)。明治神宮や伊勢神宮にも行きました。皇居の周りを歩くと千鳥ケ淵の戦没者墓苑もあります。国のために命をささげた人を忘れてはいけません。

 夫人 靖国神社には戦没された方々のお手紙が掲げられています。国のために命をささげられてえらいと感じたり、もっと人間的に見て、こんな若いのに亡くなってなんてあわれだったのか、などさまざまな印象を持つ人がいるでしょう。そこに手紙を発表する意味がある。じっくり境内をめぐると、いろいろなことを考えさせられます。

 家元 17、18歳で亡くなった方も多い。今ならまだ遊びたい年ごろなのに、私心を律し公として行動しようとする気持ちが、実にけなげで胸を打たれます。ことの正否は別ですが……。

 --宮司の戦争の記憶はどのようなものですか。

 宮司 終戦は8歳の時でした。小学生も軍事施設などで働いていましたが、お前は神主の息子だから馬の世話ができるだろうということで、自転車で1時間ぐらいのところでお馬さんを洗ったり、運動させたりしていました。勉強どころではなかったですね。戦前は国家神道でしたから、戦争が終わっても、お前らのおかげで戦争に負けたと言われて棒で追いかけられたこともありました。本来、神社は世の中や人々が平穏で豊かであってほしいとお参りするところです。そういう平和の象徴に徹することが大切だと思っています。

 --日本とフィリピンの歴史では過去に不幸なこともありました。

 夫人 主人が外相を務めた6年間フィリピンで生活しましたが、日本人ということで不愉快な思いをした記憶はありません。その後日本に主人が大使として戻った時に、私の周囲にいたフィリピンの友人たちが身内を日本兵に虐殺、虐待された人々だったことがわかり、がくぜんとしました。彼らは親切で優しくしてくれましたが、私だったらどんな反応を示したか。それはフィリピンの人々の寛容だと思うようになりました。最近、看護師さんが日本で働くようになりましたが、彼らの老人や子供たちへの思いやりややさしさをぜひ日本の方にも知っていただきたい。

 大使 イグナチオ教会の日曜日の礼拝には大勢のフィリピン人が来ます。フィリピン女性が子供を連れて行くので、日本人のだんなさんが置いていかれるのが嫌で一緒に来るという。この現象はいくつもの東京のカトリック教会で起きています。

 家元 私の教室にもフィリピンの生徒さんがいますが、とてもフレンドリーで明るいですね。

 --21世紀は「環境の時代」と言われますが、下鴨神社のエコロジーへの取り組みは。

 宮司 昔は森が神社の目印になっていましたが、都会ではビルの谷間に隠れてしまっている。神社の森の保存には大変な努力が必要です。京都でも神社と森が残っているのはわずかです。下鴨神社の「糺(ただす)の森」を残すために20年前から発掘調査を行い、ようやく保存の態勢や運動が整いだしました。「糺の森」はニレ科などの落葉樹が7割を占めています。この状態のままどう保存していくか。子供を育てるのと同じように手間がかかります。市民の協力で1年に1000本ずつ植林したり、ホタルの観賞をしたり、森の四季を楽しんでもらう取り組みをしています。

 --日本人が好む観光スポットを教えてください。

 夫人 たくさんありますが、日本人は白い砂が好きなので、パラワン島のエルニドはいかがでしょう。

 大使 マゼランが上陸したセブ島は400年近くスペインが支配したので、16世紀に建てられた教会がそのまま残っています。宗教の歴史や教会の建築史に興味のある人には面白いと思います。スペインやイタリアに行かなくても、ラテンの気質が血に残っていて雰囲気が楽しめますよ。

 家元 本日お集まりの方々が社会的にご立派な役割を担っておられるのは、公共に徹した姿勢にあり日々の判断と行動が深い教養に裏打ちされておられることがよくわかりました。微力ながら私も踊りを通じて文化交流に貢献して参りたいと思っております。

毎日jp から

前の記事神職集まり口蹄疫の沈静化を祈願
次の記事氏神さま