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麻谷寺

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 百済の義慈王3年(643年)慈蔵律師が創建して高麗の明宗2年(1172)に普照国師によって重建された。お寺の名前は新羅の浦綴和尚が法問を開く時、集まった大衆が麻田の麻の茎のように多かったので麻谷寺と名付けられたという。またこの寺は秀吉の文禄の役の戦乱を受けず、韓国戦争の時も兵火にさらされなかったようです。

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 伽藍の配置は大極円形でそれを包むように流れる泰華川を中心に北側には霊山殿及び梅花堂、修禅舎などを配置して和尚達の修行場所として利用し、これらを極楽の橋で繋げてあり和尚達の修行目的を悟らせるとある。

霊山殿は釈迦の生涯を称え、その功績を表わす建物である。内部には塑像仏像1000体が祭られており、千仏殿とも呼ばれる。正面五間、側面三間の単層切妻屋根の建物であり、乱石基壇の上に自然石を積み円柱を建て、内部の床は、井の字型に組んで敷いた板間となっている。

大光寶殿(宝物第802号)は 麻谷寺の中心法堂であり、解脱門・天王門と一直線に配置されています。初めて建立された時期は不明ですが、一度焼失したものを朝鮮時代、純祖13年(1813)に再建したものです。内部には釈迦・薬師。阿弥陀如来の三仏が奉安されている。基礎は荒石が不規則に並べられ何層もの礎石に正面5間、側面4間で基礎は荒石が不規則に並べられ何層もの礎石になっていてそこに柱が建てられている。(説明文より)

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 五層石塔は宝物第799号で高麗末期に元国のラマ教の影響を受けて建てられた塔である。高い二重基壇の上に高く聳えたっているが、屋根の石の幅の変化がほとんどなく安定感がない。二層本体石塔は四方を見守る四方仏が彫られており、塔の先端部にはラマ塔に見られる風磨銅装飾が施されている。大光宝殿が焼けてしまった時に大きく破損し、1974年に現位置に移し建てられた。敬天寺塔、円覚寺塔とともに元国の塔の影響を受けている。

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創建日付 : 640年(新羅善徳女王9年)

住所 : 忠清南道公州市私穀面雲岩里567番地

電話番号: 82-41-841 -6221

ホームページの住所 : http://www.magoksa.or.kr


 

www4.nasuinfo.or.jp/~kaki/tabi/2008/makoku/main.html から

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