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刻んだ挑戦 父の下絵 — 左京で展覧会

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京都の画壇から飛び出し、昭和を通じて仏教壁画を描いた杉本哲郎さん(1899〜1985年)。「孤高の宗教画家」の下絵は、バブル経済期をへて遺族のもとから散逸していたが、左京区の古書店主が約20点を買い集め、展覧会にこぎ着けた。画伯を支えた長男の一郎さん(80)は20年ぶりに遺作と再会。「父の姿をありありと思い出す」と思いをはせる。

 杉本さんは大津市出身。15歳で京都画壇・円山派の大家・山元春挙に弟子入りした。だが、西洋画の技法を採り入れた革新的な画風が疎まれて破門に。のちにインドの古典美術に傾倒し、その影響を色濃く受けた仏教画を多く描いた。知恩院(東山区)のびょうぶ絵「釈迦八相曼荼羅(まんだら)」や、川道観音千手院(滋賀県長浜市)の壁画「観音讃頌(さんしょう)」がある。

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 代表作は1960年代に描いた本願寺津村別院(北御堂、大阪市中央区)の壁画「無明(むみょう)と寂光(じゃくこう)」だ。縦5メートル、横15メートル。涅槃(ねはん)に入る仏を中心に、200人以上の群衆が頭を抱えて取り囲む姿を、しっくいの壁面に顔料で描いた。いまも参拝客が手を合わせる姿が絶えないという。

 杉本さんは破門後、経済的に厳しい生活を強いられ、旅絵師のように酒席に上がり込んで描いた絵を売ることもあったとされる。そんな中で、津村別院の壁画の制作を無償で引き受けた。創作活動を支えた一郎さんは反対したが、父は「あの世への切符をもらえるんや。こまごましたことは言うな」と制したという。

 一郎さんは、画題を取材する父のインドへの旅に同行。制作中は山科区の自宅から別院まで毎日、車で送り迎えをした。下絵だけで3年、完成までさらに3年を要したという。「床の間の絵は政治家の目にしか入らんが、壁画は多くの人の目に触れる」。父はそんな言葉を残した。

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 一郎さんによると、壁画の下絵を含む遺作は父の知人に管理を依頼していたが、バブル崩壊後に売却されてしまったという。杉本作品のファンで左京区の古書店主、山崎純夫さん(54)が約2年前、地元のオークションに売りに出された壁画の下絵など約20点を購入。展覧会を企画した。

 展覧会には、別院の壁画の下絵をはじめ、別の壁画の下絵や人体のスケッチも並んでいる。どれも力強いタッチが印象的だ。一郎さんは遺作の数々と対面し、「熱心に描いていた父を思い出します。制作の過程を多くの人に知ってもらいたい」と話している。

 展覧会は30日まで。左京区岡崎円勝寺町の「山崎書店」(075・762・0249)で。入場無料。

asahi 新聞 から

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