明治になると、神仏分離、廃仏毀釈により肉食が解禁され牛鍋などが登場した。一方、料理の流派は包丁式を残し衰退した。それまで本式の料理とされていた本膳料理は衰退した。この時点で伝統的な日本料理の主要な業態は、会席料理を主とする料亭や高級旅館に移ったと言える。(寺院を主な対象とする精進料理・茶人を主な対象とする懐石料理は独自性を保って現在まで続いている)白菜やホウレンソウの本格的な栽培もこのころである。
西洋料理が入ってきて外国人と交渉のある社会階層で食べられるようになった。各地の西洋料理店では日本人の口に合うように改変された洋食が生み出される。大正時代までは西洋料理は外で食べるものという意識が強かったが、上層から家庭料理にも徐々に浸透しはじめる。
また,軍隊からジャガイモや牛肉などを使う食習慣が広まっていった。都市部の家庭ではちゃぶ台が使われ、それまでの家父長制的な銘々膳の作法から、食事が家族だんらんの場として認識されるようになってくる。
洋食
明治時代以降、イギリス料理やフランス料理から派生したものだが、日本で改変され日本独特のものに変化している。カツ丼など特に日本化の進んだ一部の料理は和食に分類される場合もある。日本生まれの洋食は中国・韓国にも持ち込まれ、今では世界中で食べられるように広まってきている。
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