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宝慶寺

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pic0123654.gif福井県大野市の市街から南の山奥に10kmほど入ったところに位置する。永平寺とは山々を越え、かなり離れた場所にある。作家・司馬遼太郎氏が「街道を行く」(越前の諸道編)の中で書いている様子も「この先に人が住んでいるのであろうかと思われる」ほどの山奥である。狭い谷間を登り詰めて、鬱蒼とした杉林の中にある。

福井県でお寺と言ったら誰しもが日本曹洞宗大本山永平寺を挙げることと思います。永平寺は道元禅師が宋時代の中国から帰国されて建てられた曹洞宗の寺で今も禅修業の一大道場です。世界中から修行僧が集まっています。永平寺のホームページは英語版も選択できるようになっています。さて、何故、宝慶寺をここにご紹介するかと言えば、それには次の歴史があります。

宝慶寺は今から約700年前、寂園(じゃくえん)禅師と言う方によって開かれた。寂園禅師は中国(宋朝)の僧であり、永平寺を開山した道元禅師と共に中国・太白山天童景徳禅寺の如浄禅師のもとで仏教を学びました。その後、安貞2年(1228年)、先に帰朝した道元禅師を慕って日本へ海を渡って来られ、帰化されました。常に道元禅師に随待し、道元禅師の教えを一番正しく受け継いだ方です。

道元禅師の死後、永平寺が道元禅師開祖の心とは離れて、内部権力争いが起こり、寂園禅師はこれを嘆いて、一人山中に入り、石の上に18年ものあいだ座禅を続けられた。たまたまこの山奥に遊猟した土地の豪族の伊自良(いじら)氏が座禅する寂園禅師の姿をみて、帰依尊信(神仏・高僧を信じてその力にすがり、尊ぶこと)の気持ちを起こし、一棟の建物を建てて、請して開山を仰ぎました。寂園禅師は宝慶寺と名付け、道元禅師の仏法を正しく継承し世に広めた。惜しくも正安元年(1299年)9月13日、93歳で他界された。

永平寺は四代目住職の終わりの時代になって、宝慶寺の寂園禅師の弟子の義雲禅師を道元開祖の正しい流れを汲む人として五代目住職に迎え入れることになった。言うなれば、宝慶寺にて道元開祖の正しい教えが受け継がれて来たからこそ、永平寺の今日があるとも言える。

宝慶寺は「日本曹洞宗第二道場」と言われ、現在も永平寺から雲水が修行に来ており、境内は活き活きと管理されている。永平寺のような観光の場所ではなく、素朴ながら堅実な道元教法の修行の禅道場として息づいている。

お問い合わせ宝 慶 寺

〒912-14 福井県大野市宝慶寺1−2

TEL 0779(65)8833

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