織田信長は、一向一揆を弾圧した。伊勢長島でも大坂石山でも、一向宗をふみにじっている。来日していたイエズス会の宣教師たちは、そんな信長を好意的に見た。仏教を撲滅する、キリスト教の味方として、とらえている。
こういう宣教師たちの信長観にとらわれては、いけない。信長じしんに、一向宗の教えをにくむような気持ちは、なかった。ただ、彼らが反信長勢力の側へついたから、一掃したまでであると、著者はいう。
キリスト教は、豊臣秀吉のころから、きらわれだした。江戸幕府は、禁教政策をとっている。だが、それも同教の教理がにくまれたせいではない。ヨーロッパからつたわったこの新しい宗教も、その教えじたいは好意的にむかえられていた。日本的な天道思想のなかで、受容されている。16世紀末からの反キリスト教観は、同教の政治的かつ社会的なふるまいにねざすという。
いっぽう、島原の乱に関しては、人民闘争史観をしりぞける。千年王国をめざした宗教的な情熱に、力点をおいて読みといた。戦国時代の宗教史をおいかけてきた著者による、総決算ともよぶべき一冊。
風俗史家 井上章一 より
日本経済新聞夕刊2010年3月31日付