現存する『古事記』の写本は、大きく、「伊勢本系統」と「卜部本系統」に分かれる。
現存する『古事記』の写本で最古のものは、「伊勢本系統」の1371年(南朝:建徳2年、北朝:応安4年)から翌1372年(南朝:文中元年、北朝:応安5年)にかけて真福寺[3]の僧・賢瑜によって書写された真福寺本古事記三帖(国宝)である。奥書によれば、祖本は上・下巻が大中臣定世本、中巻が藤原通雅本である。道果本(上巻の前半のみ。1381年(南朝:弘和元年、北朝:永徳元年)写)、道祥本(上巻のみ。1424年(応永31年)写)、春瑜本(上巻のみ。1426年(応永33年)写)の道果本系3本は真福寺本に近く、ともに伊勢本系統をなす。
その他の写本はすべて卜部本系統に属し、祖本は卜部兼永自筆本(上中下3巻。室町後期写)である。
『古事記』の研究
古事記』の研究は、近世以降、特に盛んにおこなわれてきた。江戸時代の本居宣長による全44巻の浩瀚な註釈書『古事記伝』は『古事記』研究の古典であり、厳密かつ実証的な校訂は後世に大きな影響を与えている。宣長の打ち出した国学による「もののあはれを知る」合理研究は、漢式の構造的な論理では救済不能な日本固有の共感による心情の浄化プロセスの追究であった。
第二次世界大戦後は、倉野憲司や西郷信綱、西宮一民、神野志隆光らによる研究や注釈書が発表された。特に、倉野憲司による岩波文庫版は、1963年の初版刊行以来、通算で約100万部に達するロングセラーとなっている。
20世紀後半より、『古事記』の研究はそれまでの成立論から作品論へとシフトしている。成立論の代表としては津田左右吉や石母田正があり、作品論の代表としては、吉井巌・西郷信綱・神野志隆光がいる。
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