歴史
厳島神社を崇敬し今の姿に造営した平清盛が始めたとされる。都で行われていた管絃遊び(池や川に船を浮かべ管絃を合奏する優雅な遊び)を、厳島神社の祀神を慰める神事として執り行うようになった。
平安時代、厳島は島全体が神とされ人が住むことが許されなかった。そのため、対岸の地御前神社から厳島神社まで管絃船で管絃を合奏する神事を行っていたが、鎌倉時代以降、島内に人が住むようになってからは、厳島神社から管絃船が出御し、地御前神社を経由し還御する現在の姿となる。
管絃船
現在は和船3艘を横に並べて1艘に組み、別の3艘の船で曳航するが、かつては1艘の大型船を使用し自力で航行していた。
元禄十四年、管絃船が航行中に暴風雨に遭い転覆寸前となったところを、停泊し風雨を避けていた鯛網船(阿賀村の岡野喜右衛門)と、厳島神社に参拝する伝馬船(江波村の古川屋伝蔵)が管絃船を救助した。
この遭難事故以降、阿賀村と江波村が管絃船を曳航することとなり現在まで続いている。
開催日程
旧暦6月17日(このため別名で十七夜祭とも言われる)
船神事であることから、潮の干満を考慮し大潮の日に執り行われるようになった。
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