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仏教の意味

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仏教の意味

サーサナ比丘

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苦しみと苦しみの終焉

あなたにとって仏教とは何ですか?その哲学の核心は何ですか?
教は哲学ではありません。ですからこれが哲学の核心ですよとは言い難いのです。では仏教の教えの核心といえば何でしょうか?それはとてもシンプルなものだとブッダご自身が語っておられます。ある時ある人がブッダのところに来て尋ねました。「結局のところ、あなたの教えとは何ですか?」ブッダは答えられました。「わたしの教えとは、苦と、苦の終焉です」これがブッダの教えの核心です。それは苦しみと苦しみの終焉の教えなのです。

何が苦しみの終焉をもたらすのですか?

苦の終焉とは、苦を生み出すあり方と反対のあり方です。そして苦を生み出すものは無知です。ですから苦の終焉とは、すなわち無知をなくすことなのです。

では無知の原因とは何でしょうか?

誰かがその質問をしたとき、ブッダは答えられました。「無知の原因になるものとは、意識です」その人はまた尋ねました。「では意識の原因になるものは何でしょうか?」ブッダは答えられました。「意識の原因になるものとは無知です」このほんの短いフレーズは、きちんと説明しようとすれば3時間かかるでしょう。

しかしあまりにも専門的な考察に入るのは避けて一言で言うならば、私達がここにいるということ、それが無知の原因なのです。

無知の他に苦をもたらすものは何でしょうか?執着ではないでしょうか?

その通りです。根本的には、その原因は無知なのです。無知は主としてブッダが永遠性の要因と呼ばれる三つの態度の中に見出されます。そして、それらが世の中を絶え間なく回転させているのです。
– 一つめは、私達のあらゆる哲学的信条、宗教的信仰、見解、意見のすべてです。
– 二つめは、あらゆる執着心、欲望、魅惑するもの、それらのすべてです。
– 三つめは、(阿羅漢以外の)すべての人がもっている傲慢です。ブッダが「謙遜もまた傲慢の一つの形である」と言っておられるのは興味深いことです。

ひとたびこの三つを滅したならば—つまり無知を滅したならば-あらゆる苦痛、あらゆる問題、あらゆる困難をなくすことができるのです。

by Monk Sásana
– Source : www.dhammadana.org

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