「生きるってことは何か考えたかった」
作家の藤沢周さん(51)の長編小説『波羅蜜』(毎日新聞社・2520円)は、自身最長となる原稿用紙1000枚超の大作。生と死が明滅するような「ゲーム」に引き込まれる男を描きながら、現代社会における「人の死」への距離感を問い直す。「葬儀ディレクター」を主人公にした、エンターテインメント色豊かなノワール(暗黒)小説だ。藤沢さんに話を聞いた。【棚部秀行】
「とことん悪いヤツを登場人物にしようと思いました。スーツを着て匿名性を保ちながら、社会に紛れこんでしまう人間。それでいて、僕たちが敬遠してしまう『死』をビジネスにする男はどうかと」
霊安室や葬儀場、祭壇の設営シーンの描写が生々しい。白菊の香り、線香と焦げたロウソクの芯のにおい、温度や湿度、遺体の質感。五官を刺激するような場面が真に迫る。「私が高校生の時、父親が死んで霊安室に入ったのですが、見ていないようで意外に鮮明に覚えているんですね。その空気を出しました。あとは知人や肉親の葬式を参考にして。いろんな資料を読んだり、想像の中で自分がディレクターになりきって葬儀をあげていました」
葬儀会社に勤める35歳の倉木和利は、あらゆる策略を巡らせて病院から遺体を自社に回している。そこに紺野という〓(や)せた中年男が現れる。眼窩(がんか)がくぼみ、額を汗でぬらしたこの男は「私の葬式をあげてほしい」と倉木に願い出る。みすぼらしい容貌(ようぼう)と下卑(げび)た性根。強烈な存在感を放つ紺野は「ダビデの心臓」と呼ばれるグループの一員だった。
一流企業の役員やホテルの支配人で構成されたこの集団は、メンバーが順々に自死するゲームに興じている。間近な死を作為的に創出し、支配し、倒錯した快楽をむさぼる。倉木は抵抗しながらも、「ダビデの心臓」に引き寄せられていく。
「日常の平穏さに快楽を見いだせなくなった成熟した大人たちが、生きることをどうやって過剰に楽しむか。突き詰めたら、死を蕩尽(とうじん)するんじゃないかと気付きました。自己愛の究極の形ですね」
一方、倉木は自宅の水槽で飼うミズクラゲを眺め、その単純な「生」にあこがれる。<「食って、泳いで、揺れて、それで、終わり、か……」>。「彼はこのシンプルさに洗練を感じています。僕も水族館でクラゲを見るのが好きなんです」。主人公と藤沢さんの死生観が重なる。「この小説で『死』を扱い、書くことによって、生を逆照射したかった。いつも死と隣り合わせなんだということで、生きるってことが何かを考えたかったんです。どれだけ生の刹那(せつな)を燃焼していけるのかって」
タイトルの「波羅蜜」とは、仏教用語で「悟りに達するための修行、もしくは叡知(えいち)のあり方」という意味。「此岸(しがん)にいる人を彼岸に渡す。倉木がある種の修行をしているという意味も込めています」
生死のはざまにある闇を極限まで掘り下げた『波羅蜜』。ノワールの体裁を取りながら、幾重にも読み解き方が可能な作品である。
毎日新聞 より