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高野豆腐(こうやどうふ)

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873.gif歴史・名称起源

冬期に豆腐を屋外に放置してしまった事から偶然に製法が発見されたといわれている。俗に高野山で製造される凍り豆腐が、精進料理の一つとして全国に広まったものとされるが、実際には、東北地方にも凍み豆腐(しみどうふ)と呼ばれる同じ製法の保存食がある。中国にも同様の食品があるので中国より伝来した可能性も高い。寒さの厳しい地方では、場所に限らず偶然の産物として発見され、普遍的に生産されてきた食品と見られる。

高野豆腐と呼ばれるに至ったのは、江戸時代に於いて高野山の土産物として珍重されたからとも言われている。江戸時代に於いては最も流通した物がその販売地、販売者の地名を冠することがあり、これもその一つである。

高野豆腐の名称は現在では全国に広まっているがもとは関西圏で広く用いられていた名称で、甲信越地方・東北地方・北海道では凍み豆腐・凍り豆腐と呼ばれていた。甲信越・東北・北海道で作られる伝統的な製法の凍り豆腐は、藁で数個ずつ豆腐を連ねて軒先に吊るして作るのでその形から連豆腐とも呼ばれている。大阪ではちはや豆腐という呼び名もある。古くは氷豆腐と表記される事もあった。 東北地方では製造途中の凍ったものを凍り豆腐として冷凍販売し、乾物の状態のものを凍み豆腐として区別して販売されているため、注意が必要である。

日本農林規格(JAS)では、凍り豆腐が正式な名称となっている。寒冷地で発達した食品であることから、現在では長野県が日本最大の生産地である。高野山近辺では現在は製造されていない。

製法

最も伝統のある製法では、硬く水切りした豆腐を適当な大きさに切り、寒中の屋外に放置する。夜間は凍結し、日中に溶けることを繰り返すうちに完全に水分が抜け乾物となる。水分が凍るとき内部に無数の氷の結晶が出来るので、溶ける際にその部分が小さな穴として残る。こうして、スポンジ状の多孔質な高野豆腐ができあがる。甲信越・東北・北海道、および高野山での古い作り方とされる。

高野山でも古くは上記の伝統製法で作っていたが、時代が下るに従い製法に工夫が施され独自の製法が確立されていった。夜間に凍結した豆腐が日中に溶けてしまわないように、専用の氷室に入れて数日間熟成させ、その後に解凍し乾燥させる。乾燥法も初めは天日干しだったが、後には乾燥用の室の中で炭などを焚き強制的に乾燥させる方法が広まった。現在は冷凍機で凍結し、乾燥機で乾燥する機械製法がほとんどである。

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