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密教の世界

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ブッダは呪術をはじめとするバラモンの宗教儀礼を否定し、初期の仏教教団も基本的に、その態度を引き継いだ。しかし、四世紀以降、グプタ王朝に保護されたバラモン教の勢力が、土着の習俗や儀礼を包摂しつつ伸張すると、その影響を受けて儀礼や祭式が大乗経典の中に流入するようになった。火を燃やして祈祷をする護摩(ホーマ)もそのうちの一つである。

 このように仏教の中に流入したバラモン教的要素、土着習俗的要素に仏教的な意味を付加し、大乗仏教の中に体系的に位置づけたのが、七世紀頃に登場した『大日経』『金剛頂経』などである。これらの経典は、宗教儀礼や呪法などを仏教教理と関連づけて説明し、その目的を現世利益から成仏へと転換し、バラモン教やヒンドゥー教の神々を、仏(大日如来、大毘盧遮那仏)を中心とする世界に組み入れていった。こうして形成された大乗仏教の一つの形態を、密教(秘密の教え)と呼ぶ。密教の実践は、神秘的な体験に基盤を置いており、正確に理解されるのは困難である。そのため、師匠は、念入りに弟子の状態を見極め、受け継ぐべき境地に達した弟子に、秘密裏に教えの心髄を伝授するのである。

曼荼羅を用いた修行

 初期の大乗仏教の出家者・在家信者は、ブッダの修行中の姿である菩薩に自らを重ね合わせ、輪廻を繰り返して六波羅蜜などを実践し、ブッダになることを目指していた。それに対して、密教では完成されたブッダに自らを重ね合わせることによって、修行の時間を短縮し、究極的には即身成仏、つまり現在世においてブッダになることを目指すようになった。

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 具体的には手で印契(特定の手の型や動き)を結び、口に真言(真理を表す秘密の言葉)を唱え、精神集中を行うという三密の修行がなされた。これは、ブッダと同じ姿勢で、同じ言葉を発し、同じ心をもつことを意味する。

 行者は精神集中の際に曼荼羅を観想する。曼荼羅とは、仏、菩薩、明王などの諸尊が集う仏の世界を表したもので、いくつかのタイプがあるが、『大日経』による胎蔵界曼荼羅と『金剛頂経』による金剛界曼荼羅が有名である。また、曼荼羅は実際に図像として描かれ、種々の儀礼に用いられる。インドでは、清浄な泥土で壇を築き、表層に白土を塗り、諸尊を描き、一連の修法が終わると破壊するのが通例であった。

しかし、仏教がインド以外の地に伝播する中で、布や紙などに描く形式のものが一般的になった。

 八世紀後半以降、後期密教の段階に入ると、「タントラ」と呼ばれる経典が現れるようになった。それらは、密教の実践・教理の極端化をすすめ、しばしば性的要素を含む実践法をも説いた。女性が「般若(智慧)」、男性が「方便(慈悲に基づく救済手段)」を象徴し、男女が合一した状態が「悟り」を象徴すると考えたのである。

 こうした後期密教の教えは、東アジアには本格的に伝えられなかったが、チベット仏教の形成には大きな影響を与えている。

(文・鈴木健太◎東京大学大学院博士課程)




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