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サーンチー  

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 インド古代史の上で最初の統一国家であるマウリヤ朝の最盛期を築いたアショーカ王は嵩仏王と呼ばれた。紀元前3世紀にアショーカ王は8万4千もの釈迦の遺骨(仏舎利)を安置する卒塔婆(ストゥーパ)を建立した。

そのうちの8つがサンチに建てられた。現在、3つが残っている。それぞれ「第一塔」・「第二塔」・「第三塔」と名前がつけられている。アショーカ王の造立したストゥーパは、マウリヤ朝の次のシュンガ朝・アーンドラ朝になって、石材によってみごとに変貌する。第一塔は前三世紀頃の仏塔を紀元前後に増拡したもので、もっとも完全な形を保っている。第一塔がサンチの塔(サンチのとう)である。

サンチの塔は、ドームのような形をしている。直径は約36.6mで、高さは約16.5mである。もともと釈迦の骨を収めるために盛られた塚だった。その後、盛られた土の上に煉瓦を積み重ねた。銀白色と金色のしっくいを塗り、てっぺんには長方形の台と3段の傘を加えた。また下の部分には壇と手すりを設けた。周囲には二重に欄楯(玉垣)が巡らされ、東西南北の四方に「トラナ」と呼ばれる塔門が配置されている。トラナの高さは約10m。塔門は日本の鳥居に似ているが、二本の方柱に三本の横梁が渡されている。この塔門には仏伝図や本生図などが多数彫刻されており、工芸的に大変すぐれたものである。方柱の上で梁を支える彫刻は塔門によって異なり、北門と東門がそれぞれ趣向を変えた象、南門が獅子、西門が財宝神クラーベ(または豊饒神ヤクシャ)である。南門の獅子像は二本の柱に四頭ずつ丸彫りされていて、サールナートのアショーカ王石柱の上の獅子像とよく似ている。他の塔門の梁の上や浮彫にも多数の獅子像や有翼獅子像が見られる。 ストゥーパはシャカムニの遺骨を安置したものであるから、これらの獅子像は、ストゥーパへの入口を守護する役割を担っていると考えられる。王墓を守護するスフィンクスや王城守護の獅子門の流れがここにあり、有翼の獅子が見られることにも、西方からの影響が強く感じられる。

サーンチー塔門(トラナ)の横木 断片(前2世紀)

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サーンチー南トラナの断片。渦巻形の石端の上に怪獣がのっている。こういった空想上の獣は西アジアの世界に発生し、建造物の装飾及び守護神として表現された。

アマラーヴァティ 

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アマラーヴァティは、インド南東部のアーンドラ・プラデーシュ州グントゥール県にある小さな町。大規模なストゥーパの遺構とたくさんの浮彫が出土した。ストゥーパは直径49mという巨大なもの。マドラス州立博物館と大英博物館に大規模なコレクションが存在する。

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ナーガルジュナコンダは、インド南東部アーンドラ・プラデーシュ州を流れるクリシュナー河中流右岸の遺跡。とりわけ3~4世紀にかけて栄えたイクシュヴァーク朝(250~350頃)の首都ヴィジャヤプリーの遺構及び多数の仏教寺院遺跡がある。

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ナーガルジュナコンダ仏塔レリーフ(3世紀)

kawai51.cool.ne.jp/delhi-b2-n.htm から




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