以前に「千の風ならぬ公案となられた稲葉先生―仏国土の建設(試案)―」と題して次のような主旨のことを書かせて頂きました:
① 仏教は いわゆる小乗から大乗へ 自分個人の解脱から他人の救いへ進歩・展開してきたといわれている。しかし 少なくとも日本の仏教(僧や界)は 「仏国土」という言葉を使いながらも、旧い国家観・社会観に留まり、「支配者・被支配者の関係」としてあるいは「国のことは国民は口をさしはさんではいけない」というような感じの国家観・社会観を、持ち続けているようにしか見えない。
② 「仏国土」は まずは自分自身の中に築かねばならないが 同時に 自分の住むまちにも築かねばならない。そのような仏国土では、国(官)が先にあるのではなく、国民や市民が先になければならない。そして そのような「仏国土」では、国(官)だけではなく、国民や市民が、公益(パブリック)を担う社会でなければならない。
③ 自分のまちを仏国土とするその一つの試案として「総合計画を軸としたマニフェストサイクルを回す」ことを提案したい。
もし天国の稲葉先生がこの文章を読んでおられたら「あんな雑な青臭い国家論、オレが渡した公案(仏国土の建設)の答えに全然なってない!」と烈火のようなお叱りを受けそうな気がします。51号は 先生から頂いた公案への回答という積もりは全くありませんでしたので この機会に 恥の上塗りを覚悟で、次の4点を中心に 先生から頂いた公案への回答を改めて試みさせて頂きたいと思います。またもや紙面を汚しますことお許し下さい:
1.自分の中に仏国土を築くとは、一体どういうことか?
2.自分の中に仏国土を築くことから、なぜ自分のまちに仏国土を築くという考えが出てこないといけないのか?
3.自分の住むまちに築くべき仏国土とは一体どのようなものなのか?
4.自分の住むまちに仏国土を築くために、一体われわれに何ができるのか?
山内庸行 より