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お寺で「ぶっちゃけ」

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真宗大谷派の浄慶寺(中京区御幸町通竹屋町下る)で社会問題や人生観などを自由に語り合う「ぶっちゃけ・問答」が100回を超えた。僧侶や寺関係者だけでなく、会社員や学生、主婦など、毎回、立場の異なる人々が集い、文字通り、胸の内を“ぶっちゃけ”合い、日々の生活の糧となる言葉や心の有り様を探る。「無縁社会」という寒々とした言葉が幅を利かせる世の中だが、議論を通して互いを認め合う交流が生まれている。

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 問答は2001年、同寺の中島浩彰住職(40)が、閉鎖的とも言われる寺を開放し、宗派を超えて僧侶や門徒、一般の参加者と交流を持とうと始まった。月に1度、同寺や親交のある長徳寺(上京区)を会場にし、様々なテーマを語り合う。

 これまで、世襲制や葬儀のあり方といった仏教や寺院と関係の深いテーマはもちろんのこと、「引きこもり」や「裁判員制度」、「地球温暖化」、「京料理とミシュラン」など、時事的な問題も積極的に採り上げてきた。議論が白熱すると、夕刻に始まった問答が日付を越えて続くこともある。

 100回目の節目となった6月の問答は「宗派を超えてお坊さんと大激論」をテーマにした。浄慶寺に浄土真宗や真言宗などの僧侶や会社員ら約20人が集まり、宗教界が現在、抱える課題について論じ合った。

 冒頭、「仏教の印象は」との投げかけがあると、参加者は「仏教の中にたくさん宗派があるのが不思議」「宗教は身近なものではない」など、率直な意見が上がった。

 一方、本職の僧侶からは宗派ごとの教義の違いの説明があったが、「他宗のことを知らない僧侶が多いのも事実」と本音が漏れる場面も。参加者からは「僧侶には、もう少し無宗教の人にも目を向けてほしい」との注文も寄せられ、やはり議論は深夜まで続いた。

 中島さんは「見解を一つにまとめることが目的でなく、世の中には多様な意見があることを認識する場にしたいと考えている。ゆったりとした時間の中で、遠慮なく意見を述べ合い、自らの心の内とも向き合ってもらえれば」と話す。

 次回は9月15日午後7時半から浄慶寺で開かれる。問い合わせは同寺(075・211・0442)へ。

読売新聞 より

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