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私の仏教、瞑想修行

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60.gif照智一生と申します。私は平成元年僧侶となりました。会社を経営していた二十六歳の時に仏教に縁ができ、毎週土曜日・日曜日は欠かさず寺に通い仏教の勉強を続けるようになり、四十になったら僧侶になろうと決心して、四十になった時に会社を辞め、比叡山で得度して僧侶となったわけです。

しかし、今日これからお話するのは私の日本の僧侶としての仏教体験ではなく、多分皆さんが初めて聞くであろう原始仏教の修業体験の話なのです。この六、七年私はテーラワーダ仏教というものを日本に伝える運動をしてまいりました。

テーラワーダ仏教といっても、皆さんはあまり聞いたことがないと思いますが、日本では初期仏教、根本仏教、原始仏教、上座仏教などと呼ばれるものです。また間違った呼び方ですが、小乗仏教と言われることもあります。

天台宗の僧侶として大乗仏教を説かないで、小乗仏教など説くなんて、と誤解して言われることがありますが、仏教はお釈迦さまが説かれた教えです。それならばお釈迦さま直伝の教えを説くことこそ仏教を伝えるものの使命だと私は思っています。

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日本では祖師大師によって作られた宗派があり、宗派ごとに教えが若干違うのですが、教えが違うと言うことは個々の解釈がそこに入っているということです。お釈迦さまの直接の教えではないわけですから仕方がないと言えますが、お釈迦さまの直伝の原始仏教はそうではありません。すべての教えがお釈迦さまが説かれたとはっきりしているのです。

ですから、今日は原点に帰ってお釈迦さまが使っていたであろうといわれるパーリ語のお経を唱えるとこから始めたいと思います。

パーリ語というのはお釈迦さまがじかに使っていた言葉だと言われていますが、仏教では他に有名なサンスクリット語というのがあります。サンスクリット語は言葉として使っていたものではなく、現在お医者さんがカルテにわざわざラテン語を使うようなもので、特別な宗教語として権威を持って使用していたようなのです。経典として書かれたために、後世に様々なサンスクリット経典が勝手に作られ、逆に仏教が混乱して何がお釈迦さまの教えなのか分からなくなってしまったという歴史もあります。法華経などもその一つであろうと言われています。

その点、パーリ語の経典は日常的にお釈迦さまが使っていた言葉を、そのまま口伝として何万人もの僧侶たちが暗記して覚えて行ったものですから、新しく経典が出来る余地がなかったといえます。そのためお釈迦さまの根本の教えを学ぶならば、パーリ語の経典から学ぶべきで、お釈迦さまの法をそのまま伝えたというものが根本仏教、上座仏教と現在呼ばれるものなのです。

照智一生 

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