平安時代の天台宗の高僧円仁(慈覚大師、794~864年)とみられる名が刻まれた石板が中国河南省登封市の寺院で見つかった。本県ゆかりの円仁は遣唐使として渡り、9年に及ぶ苦難の旅の末帰国、天台座主に就いた。国学院大栃木短大の坂寄雅志教授(東アジア史)らが今月、現地で石板を確認し「円仁を表している可能性が極めて高い」と評価。円仁の具体的な足跡を示す史料になり得ると注目されている。
石板は、登封市の法王寺で発見された。坂寄教授によると、2000年ごろ同寺で唐の時代の塔が盗掘され多くの石板などが出土。「円仁」と刻まれた石板もその一つだったとみられる。その後寺の改修でお堂を囲む塀にはめ込まれている。
縦44センチ、横62センチの石板には、845年、時の皇帝による仏教弾圧「会昌の廃仏」の際、寺宝の仏舎利を守ろうと地中に埋めたことが記され、文末に「円仁」の文字が刻まれている。
円仁は壬生町の壬生寺が生誕地、栃木市の大慈寺で少年期を過ごした、などの伝承がある。今年1月に法王寺の僧が石板の調査のため大慈寺を訪れ、大慈寺からそれを知らされた坂寄教授らが今月初め法王寺を訪れ、調査した。
書道史の専門家による鑑定で、文字が唐時代のものである可能性が高いことが判明。中国の僧に同じ名も見当たらなかった。
円仁が残した旅行記「入唐求法巡礼行記」によると、円仁は廃仏政策で長安を追われ、その年6月1日に洛陽市に至り、同9日に鄭州市に到着した。法王寺のある登封は洛陽と鄭州の間にあり、坂寄教授らは石板の存在は巡礼行記に記された足取りと矛盾しないと判断した。
坂寄教授は「(石板の名が円仁を示すものであれば)巡礼行記で見えない部分を埋める意義は大きい。石板からは、困難な状況でも仏教を強く信じる円仁の心が読み取れる」と話している。
酒寄教授による現地調査報告会が、16日午後4時半から東京都渋谷区の国学院大で開かれる。無料。申し込み不要。詳細は同大ホームページ。
[写真説明]石板に記された「円仁(圓仁)」の文字(坂寄教授提供)
shimotsuke.co.jp から