第二次世界大戦末期の1945年7月9日深夜、米軍爆撃機B29の71機編隊によって岐阜市中心部に焼夷弾(しょういだん)が落とされた「岐阜空襲」。その悲劇を後世に伝えようと9日午前9時から、市民参加型の「平和の鐘」を鳴らす事業を市内の寺、教会、幼稚園など130カ所余で一斉に行う。【立松勝】
市史によると、岐阜空襲は終戦直前の45年7月9日午後11時40分ごろから翌10日午前2時ごろまで、現在のJR岐阜駅、柳ケ瀬、岐阜総合庁舎などの周辺や高射砲のあった鏡島などに空襲を受け、市中心部は焼け野原となった。
12日夜も小規模な空襲があり、被災区域は約5・6平方キロに達し、死者863人、負傷者520人、焼失家屋2万426戸、被災者8万6577人に及び、全人口の約44%にあたる市民が住む家を失ったと伝えられる。
今月9日は、早朝から市立梅林中学校3年生136人と引率教諭8人らが同市駿河山の権現山に登り、午前8時半から、17歳の時に被災した岐阜市在住の若原敏夫さん(82)の体験談を聞く。午前9時からは権現山の時鐘楼(じしょうろう)で細江茂光市長、杉山令憲・市仏教会長、梅林中の生徒代表が鐘を鳴らし、全員で黙とう。翠彩香(みすあやか)さん(3年)が「平和への誓い」を述べ、生徒全員で「HEIWAの鐘」を合唱する予定。
鐘を鳴らせるのは午前9時~正午。市仏教会では129寺に青いのぼりを設置し、聖パウロ教会(小金町)、天使幼稚園(青柳町)、市青少年自然の家(山県北野)の3会場でもカリヨンの鐘を鳴らすことができる。
同市長良福光の崇福寺の東海康道住職(60)は「岐阜空襲を体験された方は年々高齢化し、戦争を知らない世代が増えてきた。9日は被災者を供養するため、どなたでも鐘を突いていただけます」と話している。
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