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第一富士丸の鐘鳴らし慰霊 4日なだしお事故二十三回忌

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001-21.gif1988年に横須賀沖で海上自衛隊の潜水艦「なだしお」と大型遊漁船「第一富士丸」が衝突した事故で、4日に行われる二十三回忌の洋上慰霊祭で、第一富士丸の鐘を鳴らし、死亡者30人の冥福を祈る計画が持ち上がっている。鐘は横須賀市内で約20年大切に保存されてきたもの。関係者は「犠牲者の供養になれば」と願っている。

 沈没した第一富士丸は引き揚げられ、現場検証後に解体された。事故の翌年ごろ、立正佼成会横須賀教会(同市久里浜)の関係者が、解体業者のもとに第一富士丸の鐘があるのを見つけた。この話を後に聞いた教会幹部から「何かご縁がある。目に留まったのは、鐘が供養してほしかったからでないか」との声が上がった。

 教会は業者に連絡を取ったが、鐘はすでに人手に渡っており、その後も持ち主が変わった。教会で引き続き鐘を探し、91年ごろ、北海道にいた鐘の所有者に「鐘は第一富士丸の数少ない遺品。亡くなった人の思いが込められている」と訴えて、寄贈してもらった。

 鐘は直径約30センチ、高さ約40センチの金属製で、鳴らすと澄んだ良く響く音色がする。寄贈後は毎年7月、同市の中央公園で、仏教、神道、キリスト教など各宗教団体関係者が参加して世界中の戦争犠牲者を慰霊する式典で「平和の鐘」として鳴らされてきた。

 4日に10年ぶりの洋上慰霊祭が行われることになったのを知った教会側が、「慰霊祭で使って欲しい」と申し出た。これを受けて鐘は遺族が乗船する海自の特務艇「はしだて」に乗せられ、現場周辺の洋上慰霊祭で打ち鳴らされる見通し。

 約20年前の鐘探しにも携わった同教会の中村千春文書布教部長(64)は「鐘を鳴らすことで、犠牲者1人1人の慰霊になればと思う。毎年、大事に磨いてきた鐘が役立つならうれしい」と話した。


読売新聞 より

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