ホーム Billet du jour オモロイ坊主のミャンマー日記―3(ヤンゴン)

オモロイ坊主のミャンマー日記―3(ヤンゴン)

46
0

656565.gifミャンマーに旅で訪れたヤンゴンで、東京ゲストハウスを経営しておられる金子さんを、1年ぶりに尋ねて行ったら、偶然にも何年か前にマハシー瞑想センターで一緒に瞑想修行をさえて頂いた、札幌出身のM君が泊まって居られ、久しぶりの再会を喜び合うことが出来た。

M君は一年半ほど前に日本を出てインドへ周り、サイババのアシュラに滞在したあと、カルカッタでマザーテレサの施設でボランティア活動に参加したあと、3月に日本へ帰るべくヤンゴンに立ち寄ったと言うことで、『両親ももう歳なので、今回の旅を終えたら札幌に腰を落ち着け、働きながら両親孝行をさせて頂き、自分なりに可能なボランティヤの道を探そうと考えています』と言っていた。

そしてどちらからともなく『久しぶりにマハシーを訪れてみませんか?』と言うことになり、タクシーをひろってマハシーの外人瞑想道場を訪れたところ、二人が修行させていただいていた頃から修行を続けて居られる、在家修行者の田中さんが健康をそこねられ自室で寝ておられると言うことなので、田中さんの部屋を覗いて『田中さんお久しぶりです!聞くところでは体調が思わしくないとか?』と聞くと『私はもうここで13年余り瞑想修行させて頂き、歳ももう70も越え今年は72歳にもなったので、いつこの世とオサラバしても思い残すことは無いのですが』『ただ便秘が続き食欲もなく、毎日苦しいので薬を飲んで無理にでも排便しようとすると、こんどは激しい下痢に襲われ長時間座っておられず、瞑想もママならないのです。』と、病人とはみ見えない澄んだ優しい目で、ときおり笑顔させ浮かべ話してくださった。

それから3人でこの寺で10年ほど前に出家され、ミャンマー国際佛教大学で勉強され、現在はマハシーに戻られ修行を続けて居られる西沢師の近況や (俺が訪れたときは、1週間ほどの予定で地方の寺へ出かけておられるとかで、お逢いすることが出来なかった)、同じくミャンマー国際佛教大学で勉学中に、癌に侵され亡くなられた日本人比丘K師や、日本から瞑想修行に来ておられる在家信者さんの近況を聞かせて頂き、お互いの健康と再会を誓い合い、田中さんに見送られマハシー瞑想道場を後にしてきた。

当初今回のミャンマーの旅の予定は、メッティーラ日本学校で日本語勉強に励む生徒たちを励ますのと、日本語認定2級合格生を、一昨年・昨年とマイミクの皆さんや支援者の皆様から喜捨を頂いたお金で、日本へ招致させて頂いたのに引継ぎ、今年も一人招聘し俺と一緒に日本各地を周り、日本語を実際に生かし支援者の皆様との親交を深め、日本への理解を少しでも深めてもらうための人選と、今後の日本語学校の運営方針を話し合うためだけの目的だったのだが、1月4日に60年間の土中の眠りから覚められた、元日本兵の遺骨とお逢いしたときから慰霊碑を回り供養させて頂く旅となり、祖国日本の発展を願い異国の土となられた元兵士の皆様を偲び、この仏縁に感謝して再び戦いの無い平和な日本を、新たに決意し誓わせて頂くありがたい旅となった。

6363.gif合同慰霊祭でお会いした、団長さんからお聞きした話では、このミャンマー全土には32万人の兵士が動員され、19万人もの兵士がお亡くなりになり、ミャンマーの土となられたそうだ。

~ご両親・ご兄弟の幸せと、祖国日本の発展繁栄を願って、異国の地で土となられ、この宇宙のどこかに再生され、新しい生を生きておられる、元兵士の皆様が幸せでありますように~

~生きとし生きるものが幸せでありますように~ 合掌

http://omoroibouz.exblog.jp/5716870/ から

前の記事中尊寺の僧侶を逮捕 
次の記事タイ、2年連続非常事態の正月 デモの混乱続く