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自殺と宗教 (上)

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仏教やキリスト教の教えは、自殺についてどう説いているのか。自らいのちを絶つ人が毎年3万人を超える異常事態のなか、宗教界や研究者の間で今、教義の原点を見つめ直す動きがある。「死にたい」と口にする人や自死遺族に向き合う際の足がかりになるに違いない。

仏教界は、自殺問題への対応の遅れが指摘されている。理由の一つに、教義をめぐる迷いがある。「不殺生」は自分のいのちを絶つことも戒めているのではないか。一方、他者のために身をなげうつことをたたえる教えは自殺の容認では、と戸惑う。

浄土真宗本願寺派の教学伝道研究センター(京都市)は原始仏典と大乗仏典にさかのぼり、自殺に関する数百カ所を分析。その結果、釈尊は自殺について価値判断をしていないと判断した。昨年から「宗報」などで発表している内容によると——。

例えば「雑阿含(ぞうあごん)経」にヴァッカリという弟子の話がある。重い病の苦しみから死を考える彼を、ほかの弟子たちは献身的に介護する。釈尊はどう仏法を学んでいたかを問うのみ。結局、ヴァッカリは自殺するが、釈尊は弟子たちの前で「亡くなり方」そのものについて非難していない。

僧団(出家者の集団)の運営規則に関する「律」の文献では、そもそも亡くなった人は罰則の対象外。かといって自殺を容認しているわけではない。死を考えている弟子に対応する場面などには「生きていてほしい」との強い願いが込められているという。

センターは2年前、自派の寺院を対象にアンケートをした。自殺は仏教の教えに反していると思うか、との問いに「思う」「やや思う」と答えた僧侶は計74%。しかし不殺生の教えばかりが念頭にあると、相談者の「死にたいほどのつらさ」を丸ごと受け止めるのが難しい。

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磯村健太郎 より 朝日新聞 から 

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