禅師がいわれるには、或る和尚が、私にいわれるには『そなたも毎日毎日、また同じことばかりを示さなくても、間には少しでも、因縁や古事を物語りして、人の心も爽やかに入れ替わるように説法をされたらどうか』といわれました。私はこのように、鈍才ではあるが、人のためになることなら、鈍才でも、古事の1つや2つは覚えようとすれば、覚えられないということもないと思いますが、そのようなことを示すのは、衆生に毒を食わせるようなものでござる。毒を食わせることは、まずしないものです。
総じて、私は、仏や祖師の言葉を引いて、人に示したりはしません。ただ、人々の身の上の批判で済むことですから、済むのならばまた、仏祖の言葉を引きようもないといえましょう。私は仏法もいわず、また禅の教えもいわず、説きようもございません。皆、人々、今日の身の上の批判で相済んで、埒のあくことであれば、仏法も禅の教えも説きようはないわけです。
http://blog.goo.ne.jp から
岩波文庫本『盤珪禅師語録』36〜37頁