戦後に急成長した某新宗教の幹部に聞いてみた。「信者さんの数が増えているのでは?」
「いやいや。それどころか、お布施が減って大変です」 新宗教、伝統教団を問わず多くの日本の宗教には、社会の「貧・病・争」に向き合ってきた歴史がある。福祉制度や地域社会ではどうにもならない悩みを吸収することで成長してきた。人々も「苦しいときの神頼み」と、宗教を頼りにしてきた。
昨年末の生活保護世帯数は125万世帯とバブル期の倍。完全失業者数は317万人、バブル期の2.5倍にもなる。現代の日本には「貧」に直面している多くの人がいる。けれども、冒頭の人の話を聞いた限りでは、人々は宗教に救いを求めようとしていない。
昨年秋に社会面で「直葬」という企画を連載した。「葬儀をせずに、火葬しか行わない弔い」が増えていることを紹介した。火葬だけだから、僧侶も呼ばない、戒名もつけない。立ち会う人もごく少数。墓に入らない場合もある。
直葬が増えた背景には、価値観の多様化、単身世帯の増加といった理由のほかに、葬式をする金がないといった事情がある。「立ち会う火葬の約3割が直葬。これからも増えるだろう」という葬儀社の声も聞いた。
「葬式仏教」という言葉があるように、寺院の中には葬式をあげることに熱心というところが少なくない。けれど社会の現実は、葬式仏教としての存在意義すら揺るがせつつある。
オウム真理教に代表されるように、宗教の中に反社会的な振る舞いをするところがあることは否定できない。しかし、多くの宗教はオウムなどとは違い、長い年月にわたって日本人の生活の中に溶け込み、倫理、文化、道徳といったものをはぐくむのに寄与してきた事実がある。
それが最近はちょっと変化しているようだ。「貧」の世情とかみ合わないばかりか、葬式にも呼ばれない現代の宗教。日本人の情操観が廃れつつある予兆でなければいいのだが。
産経新聞 より
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