日本茶の起源は、中国から渡ってきたという渡来説と、もともと日本にお茶の樹があったという自生説の二つがありますが、渡来説のほうが有力のようです。
日本に喫茶の文化が始まったのは、遣唐使が往来した奈良・平安時代で、最澄や空海らの留学僧の手によって伝えられたとされています。
記録では、廷歴二四年(805)最澄が唐から持ってきて、近江の坂本に植えたとあり、これは今でも日吉茶園として残っています。
さらに翌年の大同元年(806) 空海が茶を持ってきて長崎に播いたというのがあります。そして「日本後記」という書物にもお茶が登場してきます。弘仁六年(815)に梵釈寺の永忠が近江の国を訪れた嵯峨天皇にお茶を煎じて献じたと書かれています。
それがきっかで嵯峨天皇は近畿地方にお茶の樹の栽培を命じ、上流階級の儀式や行事に用いられるようになりました。
ところが不思議なことに、この後三百年以上に渡ってお茶に関する書物及び記録は出てこなくなるのです。
次にお茶についての記述が現れるのは鎌倉時代に入ってからです。建久二年(1191)に栄西禅師によって宋の国の浙江省から持ち帰ったといわれているお茶の樹の種です。
その後、栄西禅師から明恵上人に茶の種子が贈られ栂尾の深瀬に播いたそれが、今でいう宇治茶の基盤を開いたものです。これが有名な抹茶の始まりです。
栄西はお茶の普及に努め、貴族社会でしか飲まれていなかたお茶を武家社会まで広めました。
また栄西がお茶で源実朝の二日酔いを治したという記述が「吾妻鑑」に残っています。
その後、お茶は弾宗との結びつきから茶道という独自の文化をつくり広まっていき ます。
現在のように、煎茶が日常茶飯の飲み物になったのは江戸時代になってからです。中国が明の時代となり、承応三年(1654)中国南部の福建省から隠元禅 師が来日し、この前後にお茶の葉にお湯を直接注いで飲む「淹茶式」の飲み方が伝わ り、これこれが広く日本人の喫茶法として定着したと言われています。
そして、江戸末期には現在飲まれているようなお茶がつくられるようになりました。
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