釈迦には非常にたくさんの弟子がおり、その中には様々な人物がいました。彼らの中でも、とりわけ有能で、釈迦の信頼が厚かったと思われる10人の直弟子は、 しばしば「十大弟子」と呼ばれています。
彼らにはそれぞれ得意なジャンルがありました。その得意なジャンルでナンバーワンだという意味で、全員「~第一」という別名を持っています。 例えば、「知恵第一」と言った場合には、「知恵に関して非常に優れており、そのジャンルにおいてはナンバーワンである」ということを意味します。 現在、十大弟子として広く知られているものは、『維摩経』というお経の弟子品(「品」は現代の「章」に当たります)における記述にもとづいています。 10人のうちの何人かを取り出して「四大弟子」などと呼ぶこともありますが、この10人はほぼ確定しており、誰かが他の人物と入れ替わったりすることはないようです。 それでは、以下に10人の弟子とその得意ジャンルを見ていきましょう。
十大弟子のなかでも、シャーリプトラ(舎利弗)とマウドガリヤーヤナ(目連)の二人は、釈迦の教えを広めるのに大きな功績がありました。 二人とも、もともとは、六師外道のひとりである懐疑論者サンジャヤのもとで修行していましたが、釈迦の教えに感銘を受けて改宗したと伝えられています。 その際、二人はサンジャヤの弟子250人を連れて弟子入りしたそうです。シャーリプトラは「知恵第一」と呼ばれ、一方のマウドガリヤーヤナは、「神通第一」 (「神通」とはいわゆる「超能力」のことです)と呼ばれています。
釈迦の入滅後に教団の最長老としてお経の編纂会議を主宰したマハー・カーシャパ(大迦葉)は、清貧の行者として有名であり、「頭陀第一」と呼ばれています。 スブーティ(須菩提)という弟子は、空性の理解に優れていたため、「解空第一」と呼ばれ、空思想を説く『般若経』という経典群にしばしば登場します。 他にも、弁舌さわやかで「説法第一」と呼ばれるプールナ・マイトラーヤニープトラ(富楼那)、様々な議論に巧みであったことから「論議第一」の人と呼ばれるマハー・カーティヤーヤナ(大迦旃延)も有名です。
弟子の中には釈迦の息子やいとこ等々、身内の者も含まれていました。釈迦の息子のラーフラ(羅睺羅)は、教団の規則を守ることなどに緻密であったため、 「密行第一」と呼ばれています。また、釈迦のいとこにあたるアニルッダ(阿那律)は、修行によって失明してしまいましたが、肉眼では見えないものを見通す力を手に入れたので、 「天眼第一」と呼ばれました。同じく釈迦のいとこにあたるアーナンダ(阿難)は、長い間、釈迦の側で奉仕して、他の誰よりも多くの説法を聞いたため、「多聞第一」と呼ばれ、 釈迦が入滅した後、お経の編纂会議では、教えをまとめるのに中心的な役割を果たしました。他にも、かつて釈迦の一族おかかえの理髪師をしていたウパーリ(優波離)がいます。 彼は、教団の規則を守るのに厳格だったため「持律第一」と呼ばれ、お経の編纂会議では、教団の規則(律)をまとめるのに中心的役割を果たしました。
彼ら10人の像は、日本でも奈良の興福寺や京都の清涼寺で見ることができます。興味のある方は是非ご覧になって下さい。
[文・堀田和義 平成21年10月]
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