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修験道

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森羅万象に命や神霊が宿るとする、古神道の一つである神奈備(かむなび)や磐座(いわくら)という山岳信仰と仏教が習合し、さらには道教、陰陽道などの要素も加味されて確立した日本独特の宗教である。日本各地の霊山を修行の場とし、深山幽谷に分け入り厳しい修行を行うことによって超自然的な能力「験力」を得て、衆生の救済を目指す実践的な宗教でもある。この山岳修行者のことを「修行して迷妄を払い験徳を得る」ことから修験者、または山に伏して修行する姿から山伏と呼ぶ。

奈良時代に成立したとされ、役小角(役行者)を開祖と仰ぐ[3]が、あくまでも役小角は伝説的な人物なので開祖に関する史実は不詳である。役小角は終生を在家のまま通したとの伝承から、開祖の遺風に拠って在家主義を貫いている[4]。

平安時代ごろから盛んに信仰されるようになった。平安初期に伝来した密教との結びつきが強く、鎌倉時代後期から南北朝時代には独自の立場を確立した。密教との関係が強かったことから、独立した宗教ではなく仏教の一派ともされる。

江戸幕府は、慶長十八年(1613)に修験道法度を定め、真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派のどちらかに属さねばならないことにした。

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明治元年(1868年)の神仏分離令に続き、明治5年、修験禁止令が出され、修験道は禁止された。また廃仏毀釈により関係する物などが破壊された。修験系の講団体のなかには、明治以降、仏教色を薄めて教派神道となったものもある。御嶽教、扶桑教、実行教、丸山教などが主で、教派神道にもかかわらず不動尊の真言や般若心経の読誦など神仏習合時代の名残も見られる(もっとも、神仏分離令・修験禁止令そのものは、日本国憲法で定められた信教の自由に反するため現在では無効であるとされる)。

修験道の法流は、大きく分けて真言宗系の当山派と、天台宗系の本山派に分類される。当山派は醍醐寺三宝院を開いた聖宝理源大師に端を発し、本山派は園城寺の増誉が聖護院を建立して熊野三所権現を祭ってから一派として形成されていった。真言宗や天台宗は皇族・貴族との結びつきが強いが、修験道においては一般民衆との関わりを持っていた点で、修験者(山伏)の役割は重要であった。

現代では、奈良県吉野山の金峯山寺(金峰山修験本宗)、京都市左京区の聖護院(本山修験宗)、同伏見区の醍醐寺三宝院(真言宗醍醐派)などを拠点に信仰が行われている。また、日光修験や羽黒修験のように各地の霊山を拠点とする国峰修験の流れもある。

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