ホーム Billet du jour タイの社会に生きている南方伝来仏教

タイの社会に生きている南方伝来仏教

36
0

01-8.gif托鉢 タイ 早朝の風景

タイの人々は早朝6時になると食べ物を持って外で待つている、僧侶(手助けをする少年を伴っていることが多い)がやってきて大きな器に食べ物を頂く、女性は直接渡すことが出来ずに、物に乗せて渡す、ずっと昔から続いてきた風景であり、人々は自分の食べ物が十分でない時でさえそうしていると聞く。僧侶は頂いた食べ物で午前中しか食べることが出来ない。
男は一生に一度は僧侶になる、眉毛を剃り、頭を丸めて托鉢を経験する、当然身内の人々は路上で僧侶を待つことになる、僧侶になるとそれまでの世俗の罪は赦されるとされている。

タイの人々のバランス感覚は絶妙である、お金のある人はその人なりに、お金の無い人はその人なりにである、お金持ちが困った人にお金を貸したケースではその一部が帰ってくる、けっしてまだお金が不足していると騒いではいけない、騒ぐとお金を貸してあげてさらに自分の品格を落とすことになる、何故ならお金持ちはお金を貸したその時に人徳を得ていると考えるからである。ではどうすればよいか、自分の出来る範囲(そのお金が返ってこなくても良い範囲で)助ければよいのである、ここにボランティアの基本があると思っている。

タイで僧侶は尊敬の対象である、飛行機へ乗り込むのは一番、当然お金は払わない、いやお金は持っていない、今でも厳しい戒律を厳密に守り続けている、別世界がここにはある。

印度の仏教

「最高の真理に到達した人」と言う意味の仏陀、仏陀の説いた仏教は紀元前六世紀頃印度に始る。当初は仏陀自身が実践し出家修行者に課した厳しい戒律を守り最高の真理を追究する人々と家族を抱え職業を持つ在家の修行者が出家修行者を支え功徳を積むことにより宗教としての仏教教団を形成していた。

当初は仏教教団による検証が何度か実施され戒律は厳しく守られ、その当時の原始仏教がスリランカよりタイに伝えられた。

然し500年ほど経った頃には仏塔崇拝が起こり、当時の印度の仏教を西域よりクマーラジーヴァが中国に伝えた。

中国で広まった仏塔崇拝の仏教が日本に伝えられた。

その後印度では仏教は衰退してヒンドウの神様の一人に成ってしまった。

仏教はその成立の原点において日本的な曖昧さを認めない哲学的精神性を持っていたのである。

02-8.gif中国伝来の仏教の特徴

仏教の精神性の根本は印度にある。玄奘の時代中国はインドに仏教経典を求め苦難の旅の末、多くの原典を得、数多くの経典を翻訳した。

中国の仏教はインドの仏教がそのまま移殖された物でない日本での盂蘭盆会も中国で作られた経典である。

印度から中国に伝えられたのは仏陀の滅後500年仏塔信仰から始ったとされる大乗仏教である。

中国語の「念」には心に思うと音読するの二つの意味がある中国の浄土教では浄土に往生する方法として「念仏」を進める。

「念仏」の本来の意味は仏陀を思念しそれに精神を統一する事を指す。

唱名を念仏と同一視するのは中国の発想で仏陀を思念するよりも念仏を音読することが日本に伝えられた。

本来の精神性を念仏の発声に変えたところに大衆仏教がありそれ故に形式的で祖母の年回忌等に関わるだけの仏教になったと考えるのは私だけか?

タイでは厳しい戒律の下、日々修行に励む出家僧侶と自分に出来る範囲の功徳をつむ在家信者がいるどちらが精神性に富んでいるのか?

印度の人々の思索性はあの暑さにも繋がると思う体温よりも熱い環境において時を過ごす方便である仏教成立の頃の印度での人生観によれば人間はすべて死によって消滅するのでなく生まれ変わって次の生涯を開始する生涯の連続は無限に続くこれを輪廻と言うこの輪廻からの脱出、解脱を目標に宗教理論が展開された仏陀は苦行の末、中道により解脱された中道とは総ての拘りから自由になることである。

ところが現代の日本では「仏」は死者を指し死者の霊が休まることを「成仏」と言うそこで鎮魂を目的に宗教儀礼が行われている。

このように日本では仏教の基本的な用語がまったく別の意味で使われている日本では「往生」も死ぬと言う意味で用いられる仏典に寄れば生涯を終える死没の後に新しい生涯を始めることを往生又は来生と言う中国では西方の極楽浄土への往生を願うことが流行し中国成立の浄土教では往生を終極的な目的とした。

我が家の仏教

私の家は昔からの時宗の檀家である。一遍上人の時宗で、別名踊念仏とも言われている。

”身を感ずれば水の泡、きえぬるのちは人ぞなき命を思えば月のかげ、いでいるいきにぞとどまらぬ”

若い頃、上述の念仏和讃を意味もわからず唱えていた。

一遍上人が、妻、娘、下女の4人で諸国行脚し故郷の四国の海岸で、寄せ来る波に無常を感じこの念仏和讃を詠んだと言われている上人は寺も持たず諸国行脚の旅の末最後は兵庫の西宮で亡くなっている最近は共感する部分が増えてきた。

99-3.gif精神の継承

タイでは仏陀仏教が生活の中に生きている。愛する人々との別れが思いを深くさせている。人を愛することは、愛された経験がさせると言われる。愛されたことの無い人は愛し方を知らないと言う。しかし愛した、いや、とてつもなく愛された人との別れ愛されたことによりいづれ向かい合うことになる悲しい別れ。人は生まれるところを選べない、そこで精一杯生き抜けば良い然し確実に時間が過ぎて、精一杯生きた精神は受け継がれる。過ごす時間と共に変わる周囲の景色、それが成長である愛されすぎた人との別れ、その悲しみが人への優しさに。
両親から注がれた愛情は、人への優しさになって次に注がれる有り余るエネルギーで自分や兄弟の子供達に向かって注がれる。もし輪廻が存在するとすれば、精一杯生きた精神ではないか

次へ受け継がれる精神は、精一杯の愛情なのかもしれない。 

タイでの生活が懐かしく思い出される、そこには豊かな心があった物質的に豊かであるのでなく、それでも豊かな心持である。

http://www7a.biglobe.ne.jp/~lifeenrich/sub28.html  から

前の記事一元の思想(一)
次の記事特別名宝展:五山文学の名宝、東福寺で一堂に 墨跡など展示