ネパール当局は2005年11月27日、宗教団体と科学者らに対し、瞑想を続ける15歳の少年について調査するよう要請した。
ここ数週間、釈迦の化身だと信じられているその少年ラム・バハドゥール・バムジョン君を一目見ようとネパールやインド近隣から少なくとも10万人の信者がネパールやインド近隣からネパール南東部バラの密林に集まっている。少年の仲間によると、少年は6カ月間、食べ物や飲み物を一切口にせず瞑想を続けているという。
バラの地方行政担当者は、長期間飲まず食わずで生き続けているこの少年について仏教徒の有識者委員会と科学技術学会に真相究明を要請したという。
少年は、テンジクボダイジュの木の下であぐらをかいて座り、目を閉じ瞑想している。言葉は発せず、信者は50メートル離れた場所から彼を見ることを許可されている。
少年は夜になると信者によりカーテンの中に隠される。遠方から少年を観察した医師らは、少年は正常に呼吸しているが衰弱しているようだと語った。
現地を訪れた地元ジャーナリストによると、少年は肩から斜めにショールを掛け、釈迦のような姿勢で座禅を続けているという。
「仏陀の化身」不食で瞑想を続ける少年 ネパール — 視察番外編
BBC/etc】ネパールの首都カトマンドゥのバラ地区で瞑想を続ける謎の少年、ラム・バハドゥール・バムジョン(15)が、話題となっているのを受け、この程、科学者らによる調査が予定されているとのこと。科学者らは現在、少年の瞑想を妨害することなく、如何にして調査を行うかその方法を巡って検討を重ねているという。バムジョン君を知る友人や彼の親族らによれば、少年はこれまで凡そ半年に渡り、食事はおろか、水さえ摂らずに瞑想を続け、涅槃の境地に達するまで今後六年間の瞑想が必要であると話している。少年は仏陀のように足を組んで、目をつむり、白い法衣を身にまとっている。その姿は、かつて菩提樹の下で悟りをひらいた、ゴータマ・シッダールタの姿を彷彿させるものである。
彼の様子は写真と共に日々新聞に報じられ、バラ地区に住む多くの人々が彼の様子を見守っている。そして彼こそが仏陀の化身であると口々に語っているという。そして現在、この報を受けたネパールの人々は少年の元に殺到したため、村には大きな経済的効果が生まれている。少年の周りには出来合いの店が数多く開かれ、寄付などを募り、既に多額を得ている。
「これまでのところ、彼の取り巻きによって、凡そ500,000ルピー(約75万円)が銀行に預けられているようです。」そう語るのは、同地区の行政長官プラジャプティ・コイララ氏である。また地元の人々はこの件について、バムジョン君がより良い環境で瞑想を続けられる為に、また観覧客が村を訪れやすくするために道路を整理すべく、委員会を結成し、更なる寄付を集めている。
しかしバムジョン君について、常に囁かれるのは次の疑問である。「本当に、彼は夜も瞑想を続けているのか?本当に、何も食べず、何も飲んでいないのか?」そして一部の人々によれば、彼は瞑想を始めて以来、実際に何も口にしていないと語り、またある者によれば、彼は最初のうち、菩提樹の根から出るミルク状の液体を摂取していたとも語っている。
不食
確かに、多くの人は一週間程度であれば、食べ物を摂らずに生存することは可能である。それは体内にある脂肪やたんぱく質を消費することが出来るからに他ならない。しかし水がない場合、人間が生きられるのはせいぜいもって三日か四日と言われている。
そしてしばし聖者や苦行者、或いはその信者達が、そうした能力が超常的な力によって可能になると主張する。しかし、それらが科学的研究対象となることは、ほとんど例がないのである。しかしまた現在では、バムジョン君の能力、その証拠を求める人々が増えつつある。そしてこれらのプレッシャーを受けて、地元の人々は当局に真相究明する為の調査依頼を行ったという。「彼の科学的調査を行うことに同意しました。」コイララ氏はそう語っている。
しかしこの調査における挑戦とは、すなわち、如何に彼に触れずに調査を行うかということである(※下注釈参照)。コイララ氏によれば、既にネパール王立科学技術学院の研究者らが同地域に到着しているという。しかし今後、彼らがどういった手法でそれを調査するのかは、いまだ明らかにされていない「少なくとも、彼等科学者達が、ボムジョンが夜通しで瞑想しているかどうか、それを確かめることは出来るはずです。」そう語るのは、現地で観光客相手に線香を販売しているディークパル・チャウドハリー氏である。
バムジョン君の家族は、この件について、一体何が起こっているのかもはや分からない、と語っている。バムジョン君が瞑想をはじめたとき、母親のマヤ・デヴィ・タマンさんは思わず気を失ったという。
「息子の姿をたまに見に行きますが、彼は何も喋ろうとしません。彼にこれから先、何が起こるのか、私には分かりません。ただ、彼に仏の加護があることだけは信じています。(また釈迦の母の名もまた、マヤ・デヴィであることから、バムジョン君の信者らは、この事実をしばし強調している)
また家族によれば、バムジョン君は彼の他の四人の兄弟とは、どこか変わっており、余り喋らず、常によそよそしい態度であったと語っている。「アルコール(酒)には一度も触れませんでした。」そう語るのは、彼の小学校時代の教師サルデン・ラマさんである。彼の親戚や隣人らによれば、バムジョン君が瞑想を始めたのは、ルンビニ(釈迦誕生の地)、そしてポカラ(ネパール西部の町)やデラドゥーン(インド北部)の寺院を訪れ、帰還してからであると話している。
また従兄弟であり友人でもあるプレム・ラマさんによれば、バムジョン君はかつて、人が自分のことを仏陀と呼ぶことを良く思わず、単に自分自身の悟りに達した、と語っていたという。そしてボムジョン君は、瞑想を始めてからというもの、数える程しか喋っていないと証言している。
バムジョン君が最初に喋ったのは、一月ほど前、それは彼の体を蛇が噛んだ時である。しかし彼はそれを自身への二度目の試練であると捉え、乗り越えるべきものであると語ったという(一度目の試練とは、彼が瞑想を始めて三ヶ月後、始めて蛇に噛まれた時である)。しかしその二度目の試練こそが、彼に特異な状況作るきっかけとなった。バムジョン君は蛇に噛まれた後、彼の周りにカーテンを引くよう要求したのである。「でも一週間もしないうちに、彼はカーテンを取り除くように私たちに言いました。」
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