3月11日に逝去した韓国の偉大な僧侶・随筆家のポプチョン僧侶(1932〜2010)の茶毘式が13日午前から韓国全羅(チョンラ)南道の順天(スンチョン)市にある考察の松広寺(ソングァンサ)で挙行された。
KBS韓国放送、MBC文化放送、SBSソウル放送、YTNなど主要放送会社と通信会社、新聞社らは一斉に茶毘式をリアルタイムでトップニュースに伝えた。
ソウル特別市の吉祥寺(クルサンサ)で逝去した僧侶の遺体は12日昼間、警察の護衛で、ソウルを離れて松広寺(ソングァンサ)に出発した。 霊柩車は湖南(ホナム)高速道路に移動して午後5時、松広寺(ソングァンサ)に到着、文殊殿に安置された。
普段「無所有」を強調した僧侶の遺言により、茶毘式は質素に進行した。仙巌寺(ソナムサ)住持のキョンタム僧侶とキム・ヒジュン韓国カトリック光州(クァンジュ)大教区大主教が焼香して哀悼した。有名な修道女であり随筆家のカトリックのイ・ヘイン修道女は追慕文を発表した。
茶毘式は13日に挙行された。 早朝から3万人余りの弔問客らが松広寺(ソングァンサ)に殺到した。
松広寺(ソングァンサ)に到着したポプチョン僧侶の運柩は松広寺(ソングァンサ)の文文殊殿に祭っていて、当日10時には大雄殿の前で仏様に最後の例火を差し上げて社員の境内を回った後特別な告別式なしで直ちに火葬場に向かった。
火葬場にポプチョン僧侶の運柩が祭られて、その上に木を高く積んであげた。以後「火が入ります」という声とともに大韓仏教曹渓宗総務院長チグァン僧侶、大韓仏教曹渓宗元総務院長チグァン僧侶など9人の僧侶が火口に火をつけた。その瞬間数千人余りの弔問客らが「火が熱いからはやく出てきて下さい」、「このように離れられてはいけません」と叫んで嗚咽した。念仏した僧侶らもいっせいに涙を流して式場には悲しみと号泣音があふれた。
国民は各界各層、思想と宗教を超越して「僧侶のように欲を捨てて他人のために施して生きなければならない」、「極楽往生を祈る」として逝去を哀悼して、僧侶の人生とお言葉を称賛している。
しかし、「ポプチョン僧侶はキリスト教徒ではないから地獄に落ちるだろう」などといった一部キリスト教徒らはインターネット上で逝去関連記事に対して辛辣なコメントの書き込みもある。
1932年10月8日、全羅(チョンナ)南道海南(ヘナム)郡で生まれた仏門僧侶は1956年に松広寺(ソングァンサ)で出家した。以後ソウル特別市の奉恩寺(ボンウンサ)で不敬を翻訳し、仏教新聞編集局長、松広寺(ソングァンサ)修練院長を歴任するなど活発な社会活動をして、1970年代末に松広寺に戻った。
以後すべての肩書を捨てた後、松広寺に仏日庵(プリラム)という小さい庵をたてて清貧な人生を実践して一人暮らした。以後、江原(カンウォン)道の山奥の小屋に住みかを移した。
1994年には純粋市民運動団体の「きれいで香ばしく」を創設、1996年にはソウル特別市に仏教寺院の吉祥寺(クルサンサ)を開院した。
僧侶は普段「無所有」と「欲を捨てること」を強調して現代社会に警鐘を鳴らしたし、理念と宗教を超越して多くの人々の尊敬を受けた。そして宗教間の和解と協力に寄与、カトリックと格別の関係を維持した。
ポプチョン僧侶の逝去とともに、生前に著述した著書などの販売部数が爆発的に増加している。 ポプチョン僧侶は30冊余りの本を著述し、その中の「無所有」などの代表作は品切れ状態に一時なった。各書店らの各種ベストセラー順位も仏門僧侶の著書らで満たされた。
PJNews から 写真は(追慕サイト提供)