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坐禅とは

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そもそも坐禅は,釈尊(しゃくそん)が現実にその人生を生きられた紀元前5世紀頃、釈尊の偉大な努力によって、人間が古代インドにおいて広く行われていたヨガと呼ばれる修行法の中から、半迦夫坐(はんがふざ)および結迦夫坐(けっかふざ)(編集注1)と呼ばれる坐り方を採用して、仏道における中心的な修行法としたことに始まる。

(編集注1)西嶋師は、半迦夫坐と結迦夫坐の漢字表現は、現在におけるコンピューターの表現能力に、一致させて差し支えないと考えている。なお、具体的な半迦夫坐と結迦夫坐の足の組み方は当連載の5回目以降に解説する予定。

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したがって、それ以後、大乗仏教の盛んな竜樹尊者(りゅうじゅそんじゃ編集注2)の時代や、達磨大師が中国に渡られた時代には、いずれも、この半迦夫坐(はんがふざ)や結迦夫坐(けっかふざ)を中心として,仏道修業が行なわれた。

(編集注2)150〜250年頃の南インドのバラモン出身の僧。小乗仏教から後に大乗仏教に転じ、空(くう)の思想を説いた。中観派の祖。また、中国・日本の諸宗はすべて竜樹の思想を承けているので、八宗の祖という。著「中論」「十二門論」「大智度論」など。

 しかし、それと同時に、この半迦夫坐(はんがふざ)や結迦夫坐(けっかふざ)が、なぜ人類社会の人々を救済する力をもっているのかということは、科学的には20世紀,21世紀になるまでわからなかった。

そして、この仏道修行に対して、近代科学の面から解明の光を与えた代表的な学者が、オーストリアの心理学者、ジグムンド・フロイトである。

もちろん、彼は欧米人として、とくに仏教思想などに興味をもっているような人ではなかったが、人間の心の中に、自分自身でさえ気がつかない領域があるのではないかという疑問をもち、それを調べるために、たくさんの人の記憶を頼りにして、多数の「夢」の記憶を集めて研究したのである。
そして、それらの夢の例から、人間の心というものは、それが夢のように本人がまったく意識していない領域においても存在していることを突き止めた。

 このようにして、フロイトは、われわれ人間の心には,自分でまったく気がつかないにもかかわらず、疑いもなく存在する心の領域があり、それをフロイトは無意識の世界と呼んだのである。

そしてフロイトは、そのことを本にまとめ、それが世界中の人に読まれて、それまでの人間の心に対するものの見方が一変してしまった。
 要するに、人間の心には、われわれが気がついている領域だけではなく、われわれがまったく気がつかない領域もあり、しかも、その気づいていない心の領域が、われわれの日常生活に対して非常に大きな影響を与えているという事実をつきとめたのである。

そして、ここで登場してくる神経が、自律神経という神経である。

最近でこそ、自律神経という言葉は新聞雑誌などで見かけるようになったが、それまではあまり耳にしない言葉であった。

自律神経とは,われわれの頭の働きでは自由に動かすことができない神経で、神経自身が神経自身を管理する神経である。

一般に、神経と呼んでいる脳脊髄神経(のうせきずいしんけい)とは、まったく別の神経である。

脳脊髄神経の場合は、われわれの脳細胞の働きで自由に動かすことができる。

たとえば、われわれが手を上げたいと思えば、われわれは自由に手を上げることができる。それが脳脊髄神経の働きである。

しかし、自律神経はそういかない。

しかも、自律神経の場合は、自分の力で動かすことができない神経であるにもかかわらず、人間が「緊張しすぎる」とか「たるみすぎる」とかということと深く関係していることが、医学的にわかってきたのである。

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 ところで、読者の中には、人前で流暢(りゅうちょう)に話をすることが得意でない人がおられるのではないだろうか。

どういう理由からか、人前で話をしなければならないときには緊張して、思っている事が口から出てこなくなってしまう人である。

これは、企業の盛衰を任され、社員やその家族に対して重大な責任を負っている社長職の地位にある人にとっては、何としてでも、解決しておかなければならない問題である。

なぜなら、社長は常に言葉を選んで、多くの人を説得したり、鼓舞したり、喜ばせたりしなければならないからである。

では、どうしたら良いのであろうか?

この問題に答えてくれるものが、自律神経のバランスである。

そもそも、自律神経は相対立する2種類の神経から成り立っている。

1つは、交感神経、もう1つは、副交感神経と呼ばれている。 しかも、この2つの神経は、ちょうど正反対の働きをする。

交感神経の方は人間を緊張させる方向に働き,副交感神経の方は人間をリラックスさせる方向に働くのである。

※下記のサイトで西嶋先生のブログがご覧いただけます。

西嶋和夫先生のブログ↓

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英  語 http://gudoblog-e.blogspot.com/

参考資料




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