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矢田地蔵縁起

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811.gif嵯峨天皇の臣の小野 篁(たかむら、802~852。歌人でもある)は、身は現世のものだが、魂は閻魔(えんま)大王に仕えるという不思議な人で、満米上人の徳を慕って、しばしば当寺へ詣でていたという。

ある時、閻魔大王が、「自分には三熱の苦しみがある。この苦しみから離れるために菩薩戒を受けたいので、適任者を探すように」と篁に命じた。篁は、満米上人にこの話を伝えて、閻魔庁に案内し、閻魔大王に菩薩戒を授けたという。

 閻魔大王は非常に感激して、そのお礼として、上人の希望により、自ら地獄を案内してまわられた。上人は、恐ろしい地獄の中にあって、あらゆる苦痛にさいなまれる亡者を見て、身の毛もよだつ思いであった。

この時、燃えさかる炎の中にあって、生身の地蔵菩薩が亡者の身代わりとなって、地獄の責め苦を受けておられる姿を拝し、たいそう心をうたれ、礼拝し教えを請われた。

 地蔵菩薩は「苦果を恐れるものは我に縁を結ぶべし。わが姿を一度拝し、わが名を一度唱える者は必ず救われる。」と答えられた。

 上人は、菩薩の教えに随喜して閻魔庁を辞し、矢田寺へ戻ると、早速に仏師を呼び、そのお姿を刻まれた。

 けれども、どうしても思うように彫ることができず悩まれ、神仏に祈願の日が続いた。
 ある日、4人の翁があらわれて、大きな桐の木に3日3晩のうちに、地獄で上人が拝んだそのままの地蔵菩薩を造りあげた。

 驚く上人に、「我らは仏法守護の神である。」と告げ、五色の雲に乗り、奈良の春日山へと飛び去られた。

 そのため、この尊像は、春日四社明神(春日大社の神)化身の作と伝えられている。

 また上人は、閻魔大王と別れる時、お土産にと不思議な手箱と印文を授けられた。この手箱には米が入っており、上人がいくら使われても、常に米が箱いっぱいに満ちていたことから、人々は満米上人と尊称するようになたと伝える(上人のもとの名は満慶という)。

yatadera.or.jp/cont2.htm から




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