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釈迦と同時代の思想家たち

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 『沙門果経(しゃもんかきょう)』という仏典では、仏教以外の六人の思想家を「六師外道」(ろくしげどう)と呼んで紹介しています。この「外道」という言葉は「道を外れた者」 を意味し、見方によっては非常に失礼な表現なのですが、ここではひとまず「仏教以外の者」という風に考えておきましょう。彼らの思想は、今日的な視点から、唯物論、 決定論(もしくは運命論)、懐疑論、快楽主義、苦行主義、虚無主義などといったラベルを貼られています。もちろん、現代的な意味とは多少中身を異にする場合もありますし、 複数の考え方に跨るようなものもありますので、「~論」「~主義」という名前で一括りにすることはできません。それでは、以下に彼ら六人の思想家の見解を見ていきましょう。

 アジタという人は、地・水・火・風という4つの元素だけが人間を構成すると考えました。そして、善業楽果(良いことをすれば、結果も良くなる)・悪業苦果(悪いことをすれば、結果も悪くなる)を否定し、死んだら無となるという説を唱えました。パクダも似たような考え方ですが、要素の数を先ほどの4元素に苦・楽・霊魂を加えた7つとする点が異なります。彼ら2人には、唯物論的な考え方が共通していると言えます。また、プーラナという人物も、善業楽果、悪業苦果を否定し、その見解は道徳否定論などと呼ばれています。この道徳否定論的な側面は、先の2人にも共通していると言えるでしょう。

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 ゴーサーラという人は、生き物は先の4元素に虚空・苦・楽・霊魂・得・失・生・死を加えた12の要素から成ると考え、すべては運命によって決定されていると唱えました。また、サンジャヤは、「来世があるかないか」などといった、明確な答えの出せない問題に対する判断中止を唱えました。サンジャヤの説は、不可知論、もしくは懐疑論、ゴーサーラの説は、決定論、宿命論などと呼ばれていますが、ここにも道徳否定論の入り込む余地があります。ニガンタ・ナータプッタは、物事に関する一面的な判断を禁じ、その説は多面主義(非極端説)、不定主義、相対主義などの様々な名前で呼ばれています。彼は、現在も残っているジャイナ教の実質的な開祖でもあります。このジャイナ教については、稿を改めて説明したいと思います。

 では、彼らの思想を大胆にまとめるとどうなるでしょうか? 「人間はモノからできていて、死後は無になる(唯物論)、あるいは死後の存在があるかどうかは明確でない(懐疑論、不可知論)。ということは、良いことをしても悪いことをしても来世にその報いはない(道徳否定論)、もしくは結果はすでに運命によって決まっている(運命論、決定論)。だったら、何をやっても良いじゃないか。自分の好きなことだけをやって、楽しく生きようではないか(快楽主義)」といったところでしょうか? 現代でも同じですが、こういった発想というのは、当時のインドの人たちには大きな脅威だったと思われます。しかし、道徳否定論、快楽主義などと言いながらも、世俗を離れた生活をしていたっぽいところが、何ともインドらしいですね。

[文・堀田和義 平成21年10月]

todaibussei.or.jp/izanai/02.html から




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