1)祖師禅の意味
祖師禅とは、悟りを完成した全ての祖師たちが、本来、成り立っている悟りの世界を、正しく眼の前に引き出して見せた法門である。この門に立つと、言葉の道と思考の道とが絶え、自らが本来、仏であることを明確に悟り、何にもとらわれることのない自在な生を享受するようになる。
体露金風という言葉がある。秋風が吹いて葉がすべて落ちると、木の本来の姿が赤裸々に現われることを表現した言葉である。誰でも悟りを開くと、言葉と思考という自我の存在方式が崩れ去り、法界の真の姿がありのままにあらわれる。祖師禅とはまさしくこのようなものである。
仏は自ら体得された悟りの世界を、心から心へと伝える以心伝心の方法により摩訶迦葉尊者に伝えられた。この機縁は次のようなものである。
ある日、仏は一輪の蓮華の花をとって多くの大衆の前に見せられたが、その大衆たちの中で、ただ摩訶迦葉尊者だけがにっこりと微笑んだ。仏は蓮華を提示してその心を見せるや、迦葉尊者がその心を正しく悟り、微笑により答えられたのである。
「花をとるや、にっこり笑う」。いわゆる「拈花微笑」がまさしくそれである。
禅は拈花微笑という意味深い機縁により誕生した。この仏から迦葉尊者へと伝えられた法は、その後にも師匠から弟子へと絶えることなく継承された。
インドで28番目にこの法を継いだ方は菩提達摩祖師である。達摩祖師は中国に渡り仏様の真正なる禅法を伝え、東土の初代の祖師となったのである。
2)祖師禅の流れ
中国の禅宗は、インドの第28代目の祖師であり、中国祖師禅の初祖である達摩禅師から始まった。こうして仏様が伝えられた禅法は初祖達摩(?-?), 二祖慧可(487-593), 三祖僧璨(?-606), 四祖道信(580-651), 五祖弘忍(594-674),六祖 慧能(638-713)禅師を通して綿々と継承され禅宗の巨大な流れを形成した。
達摩祖師は少林寺において面壁九年により心の本質を見せられ、歴代の祖師たちも心から心へと伝えてきた。これを祖師禅という。
祖師禅を中国に実質的に定着させた方は六祖慧能禅師である。慧能禅師は全ての人間が本来持っている自性を直指し、正しくその場においてすぐに悟る頓悟見性を明らかにした。中国の禅宗が綿々と継承することが出来たのは慧能禅師がこのような頓悟禅法を全身全霊をつくして広められたからである。
慧能禅師の禅法を確固としたものにした方は、禅師の弟子であった荷澤神會(670-762)禅師である。彼は慧能禅師が説いた、心を単刀直入に見性する頓悟法を大きく浮かび上がらせた。神会禅師以後、祖師禅を大きく隆盛させた人物には、馬祖道一(709-788) 禅師と石頭希遷(700-790) 禅師門下の善知識たちがいる。彼らは揚子江の南側に位置した江西と湖南地方を中心として祖師禅風を大きく奮い立たせた。馬祖と石頭禅師は祖師禅の教えを広め、優れた弟子たちを数多く養成し、禅宗を歴史の中に確固としたものに根付かせた。
例をあげると、馬祖禅師の多くの弟子の中、百丈懷海(749-814) 禅師がいる。百丈禅師は禅院の清規を制定し、中国で最初の禅修行の共同体である叢林をつくった。また、「一日作さざれば一日食わず(一日不作、一日不食) 」という生活の原則を自ら実践し、自給自足をしながら修行に専念する禅院共同体の土台を築き、禅宗を歴史の磐石の上にしっかりと立てたのである。
馬祖禅師と石頭禅師門下の多くの善知識たちは、引き続き、その門下に数多くの禅師たちを輩出し、禅法が中国だけでなく東北アジアに広く普及させた。
12世紀中盤になると宏智正覚(1091-1157) 禅師が黙照禅を宣揚し、大慧宗杲(1089-1163)禅師はこれを批判しながら看話禅を体系化し広く普及させた。そのため祖師禅は修行方法の上から黙照禅と看話禅とに分かれ、新たな時代を迎えることになった。
大慧宗杲禅師が体系化した看話禅は、祖師禅の核心を最もよく維持している修行法である。すなわち看話禅は、祖師禅が強調する見性体験をそのまま受け継いだだけでなく、祖師方が心の本来の面目を正しく見せた、言葉の道が絶たれた言葉を話頭という形態に定形化し、この話頭を通して、いまこの場で心を悟る卓越した修行法である。
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