ガンダーラの王国は紀元前6世紀~11世紀の間存続し、1世紀~5世紀には仏教を信奉したクシャーナ朝のもとで最盛期を迎えた。1021年ガズナ朝のスルタン・マフムードにより征服された後、ガンダーラの地名は失われた。イスラム支配下ではラホール、またはカブールが周辺地域の中心となり、ムガル帝国の支配下ではカブール州の一部とされた。
ガンダーラはヴェーダ時代、カブール河岸からインダス河口までをその疆域としていた。その領域はペシャーワル渓谷として知られている。のちの時代にガンダーラ人はインダス河を越え、パキスタンのパンジャーブ州北西部をも領土に含めた。ペルシアと中央アジアの重要な交通路であったガンダーラは国際的な商業都市として繁栄した。時代によって、ペシャワール渓谷とタクシラ、スワット渓谷をまとめてガンダーラの領域に含めることがあるが、中心地は常にペシャワール渓谷であった。王国の首都はチャールサダ、タクシラ、ペシャワール、末期にはインダスのフントに置かれた。
ギリシャ、シリア、ペルシャ、インドの様々な美術様式を取り入れた仏教美術として有名である。開始時期はパルティア治世の紀元前50年-紀元75年とされ、クシャーナ朝治世の1世紀~5世紀にその隆盛を極めた。インドで生まれた仏教は当初、仏陀そのものの偶像を崇拝することを否定していたが、この地でギリシャ文明と出会い、仏像を初めて生み出した。また大乗仏教も生まれた。「兜跋(とばつ)毘沙門天像」という頭に鳳凰のついた冠をかぶった像が存在し、毘沙門天の起源がギリシア神話のヘルメス(ローマのメルクリウス)であるという説がある。5世紀にはこの地にエフタルが侵入し、その繁栄は終わりを告げた。
ブッダ立像(2~3世紀)
ガンダーラ仏のコレクションはパキスタンのペシャワール博物館とラホール博物館が有名
ブッダ像(ストゥッコによる塑像・4~5世紀)
ガンダーラ仏も4世紀頃から次第に柔らかい容貌を示すようになる
菩薩立像(2~3世紀)
kawai51.cool.ne.jp/delhi-b4-n.htm から
文章はウィキ から