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シルクロードの仏教

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中央アジアに位置する天山山脈には、北側を通る天山北路と南側を通る天山南路という道がある。この道こそ、「シルクロード(絹の道)」と呼ばれているものに他ならない。この名は、中国名産の絹を西方へ運んだことに由来し、ドイツの地理学者リヒトホーフェンによって命名された。

 シルクロード周辺地域に住んでいた人々が残した文字記録は極めて少ない。そのため、この地域の仏教についてはいまだ不明な点が多く、考古学的資料やインド・中国などの文献の記述から、わずかに窺い知ることができる程度である。現在でも、貴重な経典写本などが出土して話題になることがあるが、シルクロードに関わる重要な考古学的発見は一九世紀に集中している。その背景には、学問的情熱や埋もれた古い文化に対する憧憬だけでなく、地政学的な重要性に起因する列強諸国の様々な思惑があったことも否定できない。

さまざまな教えの並存

 シルクロード周辺には、永続的な統一的国家がなかったこともあり、仏教の姿も多様である。寺院建築では、石窟形式が圧倒的に多く、仏塔も多く見られる。また、インド内部に見られない特徴として、大乗仏教の宇宙観の影響を受けた大仏や多仏・多菩薩の造像などが指摘されている。文献資料としては、この地を旅した法顕・玄奘らによる記述が最も詳しい。自らも僧侶であった彼らの記述によると、シルクロード周辺諸国では、伝統的な部派の教義と大乗のそれとが並存することも稀ではなく、ゾロアスター教など仏教以外の異教徒も多かったことがわかる。

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シルクロードは、インドで誕生した仏教が中国へ伝来するのに非常に大きな役割を果たした。安世高や支婁迦讖などといった中国仏教初期の訳経僧たちの多くは、シルクロード周辺諸国出身である。また、シルクロードは東西をつなぐパイプとして機能しただけではなく、ギリシャ・ローマや、ペルシャ的な要素なども取り込みながら、少しずつ仏教の形を変えていったものと思われる。仏教が通り過ぎただけではなく、この地域にも根を下ろしていたという点については、強調してもしすぎることはないだろう。しかし、長い間、栄えていたシルクロードの仏教も、一〇~一一世紀のイスラム教進出によって終焉を迎える。インド仏教と同様、シルクロードの仏教は、イスラム教の進出以前にかなり衰退していたものと考えられる。

 ところで、仏教はなぜシルクロードを東へと向かったのであろうか? 近年の研究成果によると、西へ向かった形跡も多少報告されているが、やはり東へ向かったものの方が圧倒的に多いようだ。この理由については様々な説明があるが、いまだ決定的なものはない。歴史に「もし」という仮定を持ち込むのは適切でないかもしれないが、もし仏教がシルクロードの東ではなく西に向かっていたら、あるいは、西へももっと進んでいたならば、世界史は大きく変わっていたに違いない。

(文・堀田和義◎東京大学大学院博士課程)

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