第二次世界大戦終了後、中国大陸では共産党が国共対立に勝利し、一九四九年に社会主義を基盤とする中華人民共和国が誕生する一方、国民党は台湾に 逃れて政権を継続した。また朝鮮半島では日本の敗戦とともに独立を回復するかに見えたが、東西冷戦の中で南北に分裂し、南に大韓民国、北に朝鮮民主主義人 民共和国が成立した。ここではそれぞれの地域の仏教を概観する。
社会主義政権の中国大陸では、宗教は迷信であるとして仏教は弾圧され、僧侶は還俗させられ、寺院は破壊された。それが最も激しい形で行われたのが 文化大革命(一九六六~七六年)である。しかし文革の後、このような破壊に対する批判が起こり、徐々に宗教を認める政策が進められた。しかし、現在でも まったく自由になったわけではなく、寺院以外での布教活動は認められず、仏教寺院は政府の指導下の中国仏教協会という組織により管理されている。他方、仏 教寺院の復興にともない僧侶が寺院に住む必要が生じてきたため、青年僧侶養成を目的として仏学院が各地の大寺院に設置され、僧侶の教育にあたっている。
このほか最近の動きとしては、経済力のある信者が仏教寺院に寄進を行ったり、仏教の書籍が多数出版されるなど、仏教が再び盛んになってきている。
一九四五年まで日本統治下にあった台湾には、日本から様々な宗派が入り、布教活動や福祉活動を行った。そうした中で、日本と同様に僧侶の肉食妻帯 が一般的になった。四九年、大陸に共産党政府が成立すると、宗教活動が自由にできる台湾に数多くの高僧が逃れてきた。そのため日本統治時代の肉食妻帯の風 はなくなり、現在では戒律の厳守が一般的になっている。現在の台湾で活発に活動を行っているのは、仏光山、中台禅寺、慈済功徳会、法鼓山などであり、これ らの教団は仏教の布教だけでなく、社会活動も積極的に展開している。
戦後の朝鮮半島の仏教は、日本の支配と影響を否定し、朝鮮仏教復興の基礎を築くところから始まった。一九四五年一〇月に全国僧侶大会が開かれ、日 本が制定した寺院統制規則である寺刹令などを全面的に廃止して、新しい朝鮮仏教の教憲を決議した。しかし五〇年に勃発した朝鮮戦争により、歴史的に有名な 多くの寺院が戦火で焼失し、南北の分裂が固定化し、韓国では日本仏教の残滓である妻帯僧の追放と寺院の生活を正す運動(浄化運動)が展開した。五四年、李 承晩大統領の「妻帯僧は寺刹より退去せよ」との談話を契機に、妻帯僧、非妻帯僧の間で争いが起こった。
現代では、非妻帯僧の宗派である曹渓宗が主流となり、そこから分裂した妻帯僧の側は太古宗という宗派をつくっている。その他、近年では観音信仰を中心とした天台宗、密教の宗派である真覚宗が勢力を伸ばしている。
なお、朝鮮民主主義人民共和国における仏教の現状についてはよくわかっていない。
(文・佐藤 厚 さとう・あつし 一九六七年、山形県生まれ。専門は中国・朝鮮仏教史、華厳学。東洋大学非常勤講師)