ホーム 仏教のスペース Culture 法勝寺九重塔が落慶 — 決断の日本史

法勝寺九重塔が落慶 — 決断の日本史

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11-9.gif専制君主の果てない夢

 法勝寺の塔は珍しい八角形をし、九層からなる屋根を持っていた。高さは80メートルを超え、足利義満が建てた相国寺(しょうこくじ)の七重塔、聖武天皇の東大寺七重塔と並ぶ日本最大、最高の塔であった。その基壇(きだん)の掘り込み部分が初めて確認されたのである。

 東西幅は約32メートル。軟弱な地盤を、河原石を混ぜ固めて強化していた。基礎工事の跡は八角形に復元でき、塔の平面規模が明らかとなった。

 白河天皇は摂関政治に終止符を打ち、院政を始めた人物として知られる。上皇として、43年間にもわたって絶対的な権力を行使した。仏教に打ち込み、その記念碑として建立されたのが法勝寺で、七重塔は永保3(1083)年10月1日に完成している。

法勝寺の本尊は、東大寺大仏と同じ毘廬遮那仏(びるしゃなぶつ)だった。天皇は自らを、聖武天皇になぞらえたのである。そして九重塔は、東国から京に入る玄関口を飾るランドマークタワーでもあった。現代の私たちが新幹線で京都入りするとき、車窓から目に入る東寺五重塔(国宝、高さ約57メートル)のような役割を果たしていた。

 「意のままにならないのは賀茂川の水と双六(すごろく)の賽(さい)、比叡山の山法師だけである」と豪語し、日本史上最大の専制君主として生きた白河上皇も大治4(1129)年7月7日、77歳で息を引き取った。

 右大臣、藤原宗忠(むねただ)はその日記『中右記(ちゅうゆうき)』に次のように書き、上皇の治世を厳しく批判した。

 「これほど長く天下の政(まつりごと)を取った人はいない。聖明の君、長久の主である。ただし好き嫌いが異常に激しく、意のままに人事を壟断(ろうだん)し、伝統的な秩序を破壊してしまった」

渡部裕明 より

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