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韓国仏教の荒廃

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元々、仏教に関しては日本より古い歴史を持ち、三国時代から高麗朝に至るまで、国教としてその根を下ろしてきた。

百済からもたらされた仏教は、その後の日本史に重大な影響を与え、特に弥勒信仰と共にもたらされたそれは、聖徳太子や蘇我馬子と言った古代日本の分岐点に立った人達に影響を与え、物部氏率いる古神道派との戦いの要因となり、その勝利によって古代日本宗教は神仏融合という独自の道を辿ることになる。

このように、日本古代史に深い影響を与えた仏教は、朝鮮では高麗朝において絶頂期を迎える。

高麗朝では、仏教が隆盛を極めたが、それと同時にこの時期儒教も台頭し、仏教と儒教が共存する関係であった。

儒教と言っても、李朝時代のくされ儒教と違い、高麗朝では官吏の嗜みといった感じであった。

日本で言うなら、江戸時代の朱子学のようなものだと思えばよい。

それが、高麗朝が李成桂のクーデターによって倒れると、それまで儒教を信奉していた高麗朝の若手官吏たちが李朝の重臣に次々取り上げられ発言力が増したこと、また、高麗朝で隆盛を誇った仏寺などが非常に強い力を持っていたことから、李朝がその排除を狙ったことなどが重なり、李朝において「史上最悪」の仏教弾圧が始まったのである。

所謂「斥仏揚儒」(仏教を排斥し、儒教を信奉する)が国策として決定したのである。李朝時代のおいて、代を重ねるごとに、仏教に対する締め付けは厳しさを増していき、儒教唯一絶対主義が朝鮮を覆っていく事となった。

李朝三代目の国王太宗の時には、仏教大弾圧が断行され、高麗朝の時代に1万以上の寺院があったが、この時期に何と242寺までに減らしている。さらに寺院に属する、土地や奴隷などを続々と没収していった。

次の国王世宗の時には、全宗派を禅教二宗に統合して、それぞれ18寺院だけを残して、残りの寺を廃寺とした。

儒教は基本的に、人間の内側の精神を糺すことを目的としていたため、日本の神仏融合のような柔軟かつ寛容に仏教に接することなく、宗教そのものを蔑視し、攻撃の対象としたのである。

李朝九代目の成宗の時には、出家禁止令が出され、李朝十一代目の中宗の時には、国中の仏像を没収し、溶解した上で武器をつくるなど非道な行いをしている。
この頃になると、僧侶は漢城(ソウル)から出ることが許されず、労役に付くことを強制され、奴隷と同じ賤民の範疇であった。

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今だに韓国では、韓国の寺院は秀吉やら日帝に破壊されたと妄言を吐く輩が後を絶たないが、実際は上のように、自分たち自身で仏教を弾圧してきたのが真実である。

朝鮮における仏教弾圧がどれほど酷かったか、少なくとも韓国の歴史家は知っているにもかかわらず、それに口をつぐみ、無知蒙昧な韓国民の俗説を助長し、結果として反日を煽っているのである。

また、韓国仏教自体にも歴史的に問題がなかったわけではない。

本来仏教は邪悪に対する調伏の力は認めてきたが、それは「精神」と言う力であって、「暴力」ではない。

ところが、韓国仏教はこの弾圧の歴史の中で、暴力を容認する風潮が蔓延り、現在では宗派内の派閥争いが過激化し、機動隊と消火器を振り回して、一戦交える僧侶が出る始末である。

あの姿をテレビで見て呆れ返った日本人も多いだろう。身を律するべき僧侶も、結局は韓国ではあのようになってしまうのだ。僧侶に限らず、韓国人全体に言えることは、何よりも物事を冷静に見つめ、対処することである。情熱をもって事にあたることが悪いとは言わないが、それも度を超せば、情熱も只の狂気となる。まずは冷静になること。そして理性的な対応をすることである。理性とは、知識を沢山持つことではない、多くの知識に即した行動を指すのである。

members.at.infoseek.co.jp/konrot/bunka14.htm から 

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