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無常の見方

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仏陀が現れるための社会的条件

ここまで、『転輪聖王獅子吼経 cakkavattisiihanaada-suttanta』の主要部分を駆け足で読んでみました。初期経典に出てくる「弥勒」の伝承は、現代日本で喧伝される『仏陀再誕』と何の関係もありません。歴史上、社会不安が広まるたびに東アジアでは弥勒下生を喧伝する扇動家や革命家が湧き出ましたが、それらはすべて、釈尊に由来する仏教経典とは無関係の代物であり、弥勒(メッティヤ)というキャラクターから妄想を膨らまして創作した偽経に拠った悪質なデマに過ぎなかったのです。

弥勒菩薩は、人類が自業自得で招いたハルマゲドン的な危機を乗り越えてから、長い長い年月をかけてその寿命を極限まで延ばせるほどに安定した社会を構築した後に、それでも避けられない「無常」という真理を人類に教えるための「教師」として現れると言われています。

釈尊滅後の五十六億七千万年後に現れる救世主、という常套句からはちょっと推し量れませんが、弥勒(メッティヤ)であれ釈尊であれ、仏陀が出現するには、それなりの社会的条件が不可欠なことが、この経典から読み取れると思います。その条件とは、カルト宗教のデマゴーグたちの叫びとは裏腹に、ハルマゲドン的状況からはほど遠いものなのです。

「不殺生」は人類共存のための道徳

もうひとつ、いかにも仏教的な寓話だなと思う面白いポイントがありました。七日間の大虐殺、刀の中劫を隠れてやり過ごした人類が、社会再建のために協議して定めた最初の道徳が「殺すなかれ」という不殺生の戒めだというくだりです。「殺すなかれ」という戒めは、決して「神」から命令されて守るものではないのです。人類が共存して生きていくために必要な、みなが納得ずくで守るべき基本的な道徳なのです。わざわざ仏陀から言われるようなことですら、ないのです。

それなのに、隣国の核ミサイルの脅威を煽って、人間同士に敵愾心を植え付けようとする宗教家って一体……。人間を一刻も早く「寿命十歳」の苦しみに追い込みたいんでしょうかね?

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