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自殺と宗教(下)

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自死遺族からの相談は「往生できたのか」が54%、「仏教では悪と考えるのか」が27%(複数回答)。もし、僧侶が教えに反するとして「いのちの大切さ」を説けば、遺族はいたたまれない。

誤解に基づいた対応が続いてはいけないと考え、センターは仏典を読み直した経緯がある。藤丸智雄常任研究員は「釈尊の時代には、正面から自殺の問題に向き合っていた。是非論ではなく、当事者の苦しみを受け入れていくことこそがテーマにされていたのがわかる」と話す。

東京大学の下田正弘教授(インド哲学)も「仏教は本来、死の差別化はしない。孤独のなかに立ち続けることの尊さは説くが、結果の是非は論じない」と語る。さらに釈尊の伝記には、歴史的事実とともに仏教的価値観が表れていると指摘。伝えようとするのは「社会的な死」や「精神的な死」などさまざまな形での「死を経ての再生」というモチーフだという。

「死は終わりではない。自死遺族にとってのメッセージは、自らの再生の可能性が開かれていることにある。身近な方の死の意味を受け取り、亡き人とともに新たな生を始めることができるのではないだろうか」

images-1-2.gif往復書簡での相談や自死者の法要をしている超宗派の「自殺対策に取り組む僧侶の会」(事務局・東京)は2007年の設立以来、自殺そのものを「悪」とするのは誤り、との考えを共有してきた。現場での経験を通じ、問題にすべきは自殺を生み出す「要因」であり、引き起こされる「結果」ではないと確信した。

藤澤克己代表は「相談者に対して不殺生の教えから『死んではいけない』と否定してしまうのと、『死んでほしくない』と寄り添うのは似て非なるものだ。仏典からの問い直しは、相談の現場で大事にしてきた方向性を教学的に裏付けてくれる」と評価する。

磯村健太郎 より  朝日新聞 から

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