仏法のおおまかな意味は「諸悪莫作、衆善奉行」(すべての悪を作らず、諸々の善を行うこと)です。悪い行ないを止めて、善を行なうと言う修行の中に在家と出家の区別があります。出家の生活は世俗を離れて、静かに、淡白で自在な生活です。衣食住行の中に欲と貪りを捨てるように修行します。仏制を守り、自分の心身を厳しく管理し、人格を高くし、成仏になるよう修行します。
叢林清規〔禅院の日常生活規定〕によりますと、全ての出家者は衣食住行では仏門の戒律を厳しく守らなければいけません。その基本原則は苦労に耐えて精進する。なるべく物欲をすてて、心の命を体得することです。
食事は修行僧にとって平等観の修学時間です。お釈迦様の時代、仏弟子は必ず村の家々のすべてを貧富を問わず順に托鉢して廻りました。そして頂いた食物によって体を維持しました。佛教が中国に伝わってから、文化と風習の違いによって僧侶達は叢林に住むようになりました。食事の時、はじめに三口のご飯を少しずつ取って次のように心の中に誓います。
1、全ての悪行を断つこと
2、全ての善行を修めること
3、全ての衆生を度すること
又、五観想を行ない、食べ物への執着心を除き、平等に頂くようにします。五観想とは:
1、食物を得る辛苦及び施主の恩を念じ、感謝の心を育てる。
2、自分にこの食物を受ける徳があるかどうかを念じ、物を大事にする心を育てる。
3、 慎んで、多く貪らないことを念じ、喜捨や智慧の心を高められるよう育てる。
4、 飢えを癒す良薬であることを念じ、美味しい、不味い、多い、少ない、綺麗、汚いなどの分別心のない平等な心を育てる。
5、 道を修めるための食物であることを念じ、精進の心を高められるように育てる。
仏陀の時代、比丘は昼を過ぎると食べませんでした。中国の佛教禅林では農禅の生活を行っています。所謂「一日不作、一日不食」の生活です。夕食は薬石と言います。その意味は、病気や飢を癒すため薬として頂きます。これで分かるように仏門の三食は、仏弟子として最も良い修行となります。
出家者の衣は質素で簡単なものです。仏陀は過去世に菩薩道を行い、雪山で修行した時もたった一枚の衣で過ごしました。比丘は糞掃三衣を持つことが出来ると仏制の戒律の中にあります。糞掃衣とは、人が捨てた布、汚れた布を水で七回洗い、七回干し、それから縫ったものです。三衣には五衣、七衣、大衣があります。五衣は普段の作務衣です。七衣は礼拝やお経を称える時に着る衣です。大衣は説法の時に着る衣です。この三種の衣は袈裟又は福田衣とも言います。袈裟はkasayaの音写。赤褐色のこと。元インドの猟師などがきていたぼろの衣をかしゃーやと呼んでいた。インドの僧団で制定された法衣をその色から袈裟と称しました。その色は青、黄、赤、白、黒の五つの正色を避けて、混じった崩れたような色を用いた。福田とは、人々が功徳を植える場所、福を生ずるもと。僧侶または三宝をさす。
出家者の住の基本原則はどこでも安心して過ごすことです。軒下、木の下や荒野、水辺、荒塚などどこでも座禅さえできれば満足して長い夜を過ごすことが出来ます。
「平常心は道です。」と仏法を日常生活に現すことは中国禅宗の特徴です。有源律師と大珠慧海禅師が次のような話をしました。
「和尚の修道は工夫をしていますか」
「はい、工夫をしています。」
「どのように工夫しているのか」
「お腹が空いたら、ご飯を食べます。眠くなったら寝ます」
「それは皆もそうです。皆は貴方と同じ工夫をしているのですか」
「いいえ違います」
「どこが違いますか」
「彼らはご飯の時にきちんとご飯を食べない、いろんな事を考えている。寝るときも沢山のことを考えて寝られない」
これて分かるように、「服を着る、ご飯を食べる、眠い時に直ぐ寝る」のような日常生活はもともと禅の修行境地です。
修行者の衣、食、住、行など全ては普通の人と違います。心の中の品質、欲張らない心や気にかからない事など生活の全てに自我の荘厳があります。今、僧侶のような自由自在の生活ができる人がこの世の中、何人いるでしょうか。
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