◇140万票超の投票経て選考
第1回の中国歴史文化名街の選考は2008年7月に始まった。中国全土約200の街区の状況を調査して候補地を絞り込むと同時に中国文化報社などが歴史文化街区保護への理解と協力を呼び掛けるキャンペーン報道を展開。保護すべき街区を一般に募った結果、140万票を超える投票があったという。
選考では、(1)歴史上、重要な影響を与えたり、重要な歴史的事件の発生地(2)豊かな文化的特徴を備え、現在まで伝承(3)文物、旧跡、歴史建築が多く残され、伝統的な町並みや歴史的風景が良好に保存され、しかも一定規模を有する(4)盛隆した当時の社会的機能や経済・文化面の活力を維持している--などの基準を設定。
その結果、第1回の歴史文化名街には、北京市の国子監街、山西省平遥県の南大街、黒竜江省ハルビン市の中央大街、江蘇省蘇州市の平江路、安徽省黄山市の屯渓老街、福建省福州市の三坊七巷、山東省青島市の八大関、山東省青州市の昭徳古街、海南省海口市の騎楼老街、チベット自治区ラサ市の八角(パルコル)街が選ばれた。選定された街区では記念イベントを開くなど話題となった。現在は第2回中国歴史文化名街の選考に入っている。
◇800年前の横町、今も--蘇州・平江路(江蘇省)
都市近代化の影響を受け、中国の古城(古代都市)は20世紀以降、大きく姿を変えたが、蘇州は今も比較的完全な形で歴史文化区域が保存されている。その代表が平江路だ。1229年に作製され蘇州文廟(びょう)(碑刻博物館)に現存する「平江図」碑は、中国に現存する最も古く詳細な石刻都市地図だ。そこには蘇州古城の特徴である「水路と陸路が平行する二重の碁盤」の配置がはっきりと見てとれる。
平江図碑にある街巷(通りと横町)と川筋は、現在の平江歴史文化街区にも基本的に当時の姿が残り、縦方向に内城河と平江河、横方向に胡廂使河、柳枝河、新橋河、懸橋河の「二縦四横」の河川網を作っている。川岸には古橋が残り、古い家屋が建ち並ぶ。連なる民家建築は黒・白・灰色を基調とし、空間の配列は変化に富む。一般民家にまじって広大な邸宅もあり、これらの住宅庭園は中国の古い民家建築の逸品と呼ぶのにふさわしい。
◇多彩な民族、文化共存--青州・昭徳古街(山東省)
春秋戦国時代、山東地区の政治、経済、文化の中心だった青州は、歴史豊かな文化遺産が残り、市街地には今なお多くの明・清時代の古街路がある。レンガと灰色の瓦、赤い欄干と白い壁、床に敷き詰められた黒みを帯びた石は非常に上品な趣がある。古街で保存状態が最も良く、昔の味わいを残しているのは昭徳古街だ。
昭徳古街は東門街、東関街、昭徳街、北閣街、糧市街などからなり、南京、京城に通ずる交通の要路だった。明・清時代に山西省の豪商が同業者団体を組織し、東関街に会館を建てて同郷の商人に便宜を図った。
青州は唐朝の時代からシルクロード交易の商人が行き来し、昭徳古街にはイスラム教徒が多い。漢族、満州族、モンゴル族も雑居して、文化、習慣が交流。このため文化思想は開放的で、仏教、道教、イスラム教、キリスト教は青州で長い歴史があり、昭徳古街だけでもイスラム教寺院2カ所とカトリック教会、プロテスタント教会がある。
◇南洋と西洋様式が調和--海口・騎楼老街(海南省)
海南省海口の騎楼老街は、街路の両側に南洋風建物の情緒にあふれた騎楼(アーケードのひさしのように歩道の上にせり出した中国南部の建築)が見られる。海口の騎楼式建築は保存状態がほぼ完全で、中国と西洋の特色に富む歴史文化街区といえる。清朝時代の1684年、外国貿易が再開され、通商港の海口では往来する外国人が南洋建築様式をまね、騎楼式の建物を次々と建てた。日ざしが強く雨風が多い海南の気候に対応し、騎楼が涼しく快適な街並みをつくった。
海口初の騎楼は旧四牌楼街(現在の博愛北街)に建てられ、5本の騎楼街区ができ上がった。博愛路は海口の旧市街地で最も長い街路で、孫文の博愛精神からこの名が付いた。海口騎楼街は中国と西洋の様式が調和し、回廊、尖塔(せんとう)、装飾彫刻した扉・窓は南洋様式の中にヨーロッパ建築の要素が取り入れられ、一部にはアラビア風もある。外壁には中国と西洋の装飾を施したレリーフが1万点以上あるといわれる。
◇建ち並ぶ彫刻飾り屋根--平遥・南大街(山西省)
5、6世紀の北魏時代に現在地に移った平遥は、南大街、北大街、東大街などが商業の集中地として発展し、清代に隆盛を極めた。南大街は現在、全長690メートル。商家の多くは前面に店を出し、後面を居住用とする「四合院」(中庭を囲んで四方に建物を配した閉鎖的な住宅形式)、または「多進院」(複数の中庭を持つ住宅形式)の造り。通りに面した店の構えは切り妻両流れ屋根としたものが多く、美しい彫刻飾りが特徴だ。
景観保護機運の高まりで95年、南大街の店舗について明・清代の様式を復活させることが決定し、店先の修理では青いレンガとタイル、木構造の戸口という特色を際立たせ、装飾画を新たに施し、老舗屋号の看板、宮廷式ランタンを掲げた。
南大街は「左に孔子廟、右に関帝廟、左に鎮守、右に県庁」の慣例に従って配置され、通りの両側に並ぶ商家は石段が高く築かれ、老舗店舗などの旧跡は多くが観光スポットとなっている。
◇聖廟と最高学府が一体--北京・国子監街
北京旧市街の東北に位置する国子監街は約700年間の伝統文化の粋を体現している。元代の1302年に建てられた孔子廟は元、明、清代の皇帝が孔子を祭り、4年後の1306年に建設された国子監は教育を管理する最高行政機関で最高学府が置かれた。左の廟と右の学府が一体となっている。
孔子廟には198基の進士題名碑があり、元、明、清代の科挙の合格者5万人余りの名が記されている。国子監の「辟雍(へきよう)」は、清の乾隆帝の命により建造された当時の大学機関。儒家の経典を石に刻んで記録した十三経石刻碑林「乾隆石経」がある。国宝級のこの二つの建造物は修繕を経て、清末の様式が再現されている。敷地面積は約5万平方メートル。
東西を貫く国子監街は全長669メートル。1984年、北京市の文物保護単位に指定。牌楼(はいろう、装飾が付いた門型建造物)の下に通りがあるのは北京ではここにしか残っていない。
◇万博控え建設ラッシュの上海、消失危機の伝統建築保存
5月の上海万博開幕を目前に控えた中国最大の経済都市・上海では、万博に向け都市のインフラ整備が急ピッチで進む。上海は90年代以降、黄浦江東側の浦東開発など都市再開発が急速に進み、古い街並みが次々と姿を消している。人口は2000万人を超え、開発の波はさらに勢いを増す。「より良い都市、より良い生活」を万博テーマに掲げる上海にとって歴史ある街並みの保存も重要な課題となっている。【上海・鈴木玲子】
上海万博は08年の北京五輪後では初の国際的大型イベント。万博に合わせ、虹橋国際空港の新旅客ターミナルが16日に供用を開始する。
上海の景観は猛スピードで変ぼうし、建設ラッシュが続く。上海市は歴史的景観保護のため、黄浦江西岸の外灘(英語名バンド)と呼ばれる旧租界時代の西洋式建築が建ち並ぶ地区など、12カ所を歴史風ぼう保護区に指定している。郊外の朱家角など古い水郷の街では水郷を生かした観光開発も盛んだ。また万博を契機に、庶民が暮らす上海特有の伝統的建築「石庫門」建築の保護についても議論が活発化している。
石庫門は枠を石で築いた表門からその名が付いたという。多くが低層階の長屋タイプの共同住宅。上海を含む江南地方の伝統建築と西洋のアパートメント様式を取り入れた中洋折衷の建築様式で、19世紀半ば以降に建設が始まった。最盛期の1920~30年代には石庫門建築は9000カ所以上、当時の住宅総面積の6割以上を占めたという。
石庫門建築は中心部に集中するため、再開発で取り壊しが激しい。その急速な消失に危機感を訴える声も強く、昨年5月には上海でフォーラム「上海石庫門遺産保護と文化伝承」が開かれ、大学を中心に研究機関「上海石庫門文化研究センター」が設立された。また、石庫門の民家は多くがトイレや炊事場が共用で暮らしにくいため、地元政府によって炊事場の改装なども進められている。同年10月には石庫門建築が初めて市歴史風ぼう保護区に追加指定された。
石庫門建築を生かして商業化に成功した人気観光スポットに「新天地」や「田子坊」がある。新天地は石庫門の外壁や屋根を再利用したレストランが並ぶ。田子坊では庶民が暮らす住宅の一部を飲食店や小物店に改装して利用している。
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