韓国仏教
仏の智慧と慈悲の教えは、韓国の三国時代の四世紀頃に朝鮮半島に伝えられて以来1,700年の間、韓国社会と文化の発展に多大な影響をもたらし、今日に至っている。
仏教がこの地に伝来されるや高句麗、新羅、百済の三国は其々国教として受け入れた。中でも新羅は三国統一の精神的原動力の基とし、これを成し遂げたのである。当時活躍した元暁、義相、慈蔵のような高僧たちは仏の教えをもって戦争と葛藤で悩んでいた民衆の心を癒すと共に、全国の名山に寺院を建立して仏の教えを広く伝播した。
統一新羅時代の仏教は文化的な面から発展を試みられた。仏国寺と石窟庵といった世界的な文化的遺産が造成される一方、無垢浄光陀羅尼経は、世界最初の木版印刷術を、清州興徳寺で印刷された直指心経要諦は、世界最初の金属印刷術を見せてくれた。そればかりではなく、この当時中国で隆盛であった参禅修行法が導入され、禅宗が発展して民族精神文化の新しい地平を開かれた。これは後、三国を統合して高麗を開国するのに思想的原動力となった。
高麗も同じく仏教を国教とし、韓民族の主体性を大いに高め、絢爛たる民族文化を発展させた。特に高麗王朝は、道詵国師の風水地理説の教えを取り入れて、全国の名山に寺院を建立して仏教を広めるのに大きな貢献を果たした。また八万大蔵経版を造成して周辺の外勢の絶えない侵略からの平和を祈願し、八関斎会や燃灯会といった祝祭によって国民統合を図った。
高麗時代には諸宗派が発展した。しかし、僧侶の貴族化と寺院経済の甚だしい繁盛は民の指弾を受けて仏教が知識人層から背を向けられ、政治的に弾圧される状況を招く。
国を開いた朝鮮王朝は国王が個人的には仏教を信望したが、儒教を国教とし、 国の統治理念を儒教とした。朝鮮時代の仏教は抑圧政策によって山中に追い遣られ、孤立し、僧侶は過酷な弾圧を被ったが、深山の寺で修行共同体を成して仏教の伝統を継承し、民衆と共に生きる契機となった。
近代には日本の侵略で日本仏教の影響を受けて妻帯僧が増えるなど僧風が急激に衰退した。解放後には僧団浄化運動を大々的に展開して仏の教えによる正統僧侶が結集して、韓国仏教を代表する統合集団の大韓仏教を出帆させ、今日に至っている。
大韓仏教曹渓宗
1,700年の韓国仏教の歴史と伝統を代表する宗団が大韓仏教曹渓宗である。
曹渓宗は、新羅末に中国から禅の伝授を受けて当時の仏教界を一新した迦智山門などの九山禅門を起源とする。その宗祖は韓半島(朝鮮半島)に禅法を最初に伝えた道義国師であり、高麗の普照国師と太古国師は中興の祖である。
曹渓宗は高麗仏教の禅宗を代表する宗派として成立したが、朝鮮の世宗時代に禅教両宗に統合されたばかりでなく、燕山君代に解体されるという法難に遭遇した。しかし、壬辰の乱(文禄·慶長の役)の時、西山、四溟などの高僧たちの活躍と篤実な信徒の保護で数百年の間、山の寺院で法脈が絶えることなく伝承されてきた。その過程で教宗の流れも摂取して禅教が融合される宗風が形成された。
糾す しかし、朝鮮王朝は数百年の間、崇儒抑仏政策を敷き、僧侶の都城出入りを禁止した。仏教は山中に隔離されてしまった。1895年、僧侶の都城出入が許容された。1899年には海印寺で鏡虚禅師を中心として結社運動が起り、近代の禅風を奮い起こす一方、宗団再建の思想的基礎を糾した。その結果、圓宗と臨済宗を創立して教団再建と仏教の都市進出を自主的に図ったが、日帝の弾圧によって阻止された。
ここに竜城、万海のような高僧たちが日帝の統治に抵抗し、1921年に禅学院を創立した。1929年には朝鮮仏教禅教両宗による僧侶大会が開かれ、1935年には朝鮮仏教禅宗が創立された。1937年には総本山の建造運動を行う等、韓国仏教界の独自による教団の建立運動が後を絶つことなく展開された。ついに1938年に曹渓寺に大雄殿を創建し、1941年には日本仏教と区分される韓国仏教の伝統である曹渓宗を復元して朝鮮仏教曹渓宗を出帆させた。これが近代韓国仏教界の初めの合法的な宗団であり、今日の大韓仏教曹渓宗の前身である。
1945年の解放直後には、韓国仏教の伝統を大事にしてきた禅僧たちによって日帝の植民地仏教政策の遺産である妻帯僧に反対する浄化運動が本格化された。1955年に比丘僧団を中心とする曹渓宗が成立された。その後、高僧たちと政府との仲裁で妻帯僧を受け入れて、1962年4月11日に統合宗団の大韓仏教曹渓宗として新たに出発することになった。統合宗団は、徒弟養成·訳経·布教を三大指標として闡明に掲げて今日に至っている。特に、大韓仏教曹渓宗では、1947~1949年の間に鳳巌寺で一団の禅僧たちが、‘み仏の教えのままに生きよう’、というスロ-ガンの下に結社運動を提唱した。それが直接的な契機となって、宗旨宗風と儀礼形成の基を開くことになった。この時、この結社運動に同参した20余名の禅僧の中から宗正4名、総務院長5名が輩出された。
曹渓宗は、釈迦牟尼仏の教えを根本とし、「直指人心」と「見性成仏」と「伝法度生」の三つを宗旨としている。また、所依の経典は『金剛経』と「伝灯法語」であり、参禅を根本としながらも、看経と念仏、呪力なども修行法として受け入れ、通仏教としての伝統を守っている。しかし、曹渓宗がその中で最も勝る修行法として認めているのは看話禅である。この看話禅は、今のところ、世界の人たちが注目する独特な修行法である。
曹渓宗の宗旨宗風を具現する修行機関としては、綜合修道院である海印寺の海印叢林、松広寺の曹渓叢林、通度寺の靈鷲叢林、修徳寺の徳崇叢林、白羊寺の古仏叢林の五大叢林があり、曹渓宗の代表的な修行機関である禅院は宗立鳳巌寺の特別禅院、桐華寺の金堂禅院、上院寺の清涼禅院、百潭寺の無今禅院などを始め、90余禅院があり、そこで2,000余名にも上る僧侶が冬、夏の安居の時、山門の出入を禁じて精進に没頭する。
曹渓宗の宗団の運営は仏法と律蔵精神を土台として制定された「宗憲」を根幹としている。1929年の日帝強占期に、朝鮮仏教の僧侶大会で自主的に制定した宗憲精神が近代宗団の宗憲の嚆矢となり、現行大韓仏教曹渓宗の『宗憲』は1994年4·10の全国僧侶大会で決議した改革精神を基に 制定されたものである。曹渓宗の宗団の運営構造には、まず宗統を継承する最高権威の宗正と、宗団を代表し、宗務行政を総括する総務院長とがある。中央宗務機関には、総務院·教育院·布教院があり、更に立法機関の中央宗会と司法機関の護戒院がある。また全国に25教区本寺があり、その下に3千余の末寺と布教堂がある。宗団の中央宗務機関の所在は、ソウル鐘路区堅志洞45の曹渓寺の境内にある。
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