神秘行の目的
まず、神秘行とは先のページでも述べたように、本来、人間が通常では達する事の出来ない領域= 人間自身の内に潜む「神の領域」とされるものを知り、自らをその領域へより高めていこうと するために行われる方法でした。その目的としては、悟りを開き心に絶対なる安らぎを持ちたいと いう事から人生の本当の意味を知りたい事。自分の能力を高めこの世界を自由に過ごしたいという もの。そして、自分の秘められた能力を目覚めさせ、それら持てる能力を全て使い、その信じる理想を この世界に実現したいという事という崇高なものまで、様々なものがあるでしょう。人間のこの現在の通常の自分を越えたものへの憧れは、遥か昔からあり、その歴史、土地、文化に よって様々な方法が生まれてきました。
日本における神秘行
日本という土地に住む我々がよく知っているものといえば、まず神道や仏教、密教、修験道などが 挙げられるでしょう。
”神道”とはもっとも古くから日本に根付く宗教でした。この世界全てありとあらゆるものに、神の存在を認め(これを八百万の神という)、人間自身に本来ある神性を発達させることを目的としたものです。流転するこの自然の中にあって、本来、自然の中の一つの生命体である人間が、全てのものと調和し生きることを説くものでした。
”仏教”はその源はよく知られているように紀元前に生まれた釈迦(ゴーダマ・シッダルーダ)という方が説いた教えから始まりました。彼の教えの根幹は四聖諦八正道十二縁起と呼ばれるものからなり、この世界の現実をありのままに観る事を説いた教えでした。ただ、後世、彼の教えは大きく曲解されていきます。例えば、現在、仏教というとまず霊的なものを思い浮かべる人が多いでしょう。しかし、釈迦自身は、霊的なものは否定しているのです。いえ、もっと極端に言えば、彼の本来の教えは全てのものを否定していたといえるでしょう。霊もいない、神もいない、全てのものは幻想である、そして、私達が我自身と思っているものさえも、そこに囚われる「業」が創り出した幻想である。それら全ての幻想と囚われる心(業)を否定し去り、それでも、そこにまだ残るものこそが「真理」であるという教えが彼本来の教えなのです。この釈迦の説いた本来の教えは原始仏教と呼ばれます。
この原始仏教自体は、表面上、その人間の欲望を否定すると誤解されてしまうところから、
多くの人々に毛嫌いされ、後世に伝わるにつれ大きく変わっていってしまいますが、しかし
そんな中でもいろいろな価値のある教えを生み出します。密教もその一つといえるでしょう。
”密教”というと現在では、よく漫画の影響などで印と真言を組んで超人的な力を発するもの、という誤解が広まってしまっていますが、本来は仏教の流れを汲みこの世界の在り方を正しく理解するための学問でした。ただし、一般に伝えられる仏教は、その学問の難しさから、普通の人ではその理解が 遅々として進まないことが多いので、密教では人間の秘められた能力を成長させるための様々な実践的な方法を用いました。しかし、これらの実践的な方法には危険も多く、そのため一般に明らかにされている仏教という学問(これを顕教という)に対して、選ばれたものだけに密かに伝えられる教えという意味で密教は、密教というその名前で呼ばれるようになったのでした。
anima-mystica.jpn.org から