稚児行列」は、先頭に雅楽隊、そのあとに僧侶の行列、そして稚児の行列が最後に続きます。
この行列は「伊豆殿行列」で見られる江戸時代の真似事と違って古式豊かな形式をしっかりと保っているので、「半僧坊」にまつわる歴史の古さを十分読み取ることが出来ます。
この行列の先頭を切る雅楽隊の姿が気になります。この件については「平林寺の不思議」の本文に書いてあります。何故ここにこのような姿の雅楽隊が出てくるのか妙な感じです。特に妙なのが彼等の帽子です。平安時代とも奈良時代とも思える不思議な帽子が気になります。この帽子の源流はその頃のペルシャにある、との説があるのでその影響から来ているのは分かりますが、詳しくは不明です。
それにしても、この雅楽隊の演奏のお粗末さにすっかり同情してしまいました。無理もないとは思うものの、もう少しなんとかならないものかと思ったのは私だけだったでしょうか。奏でる曲が「越天楽」で、かなりポピュラーな曲です。そのポピュラーさが仇になって逆に目立ってしまうのだとも考えられます。もし、余り知られない曲であったならそれ程目立たなくて済むのではないかと思うのですが、どうでしょうか?。
本殿わきの部屋から出て来る雅楽隊。楽器の持ち方、手さばき、表情、背筋、その他、どう見ても素人集団と分かります。素人であってもそれなりの練習を重ねたのでしょうが、いかんせんにわか仕込みの感は否めません。とにかくお粗末でした。然し、雅楽には縁のない地元住人達の演奏であっても、体験する事には十分意味があります。なかにはかなりの回数出演された方もおられる筈です。プロ並みではなくても毎年元気に演奏される事が第一というべきでしょう。
僧侶達の先頭に立つお坊さんで、一目で偉いお坊さんだと分かります。実にいい顔をされていました。十分な修行を積まれると、おのずと表情も輝いてくるのだと思いますね。臨済宗の修行の厳しさは天下一です。そんな修行をものともせず積まれたと思っただけで尊敬したくなります。事実、そうされて今日があるのだと思いました。
修行中のお坊さんの列(雲水さんも居るのだろうと思いますが?)。人間の中で、最も長生きする職業は、政治家とお坊さん、と聞いた事があります。政治家の場合は「恥を知らぬがため」に、それが長生きの秘訣になっているのだとか、逆に、お坊さんの場合は「恥を知るがために」長生きするのだとか、言われてみればそうかも知れません。早死にするお坊さんでは頼りになりませんね。我々の寿命以上に長生きしてもらいたいものです。
どのような基準でこの稚児が選ばれてくるのか分かりませんが、これも大変だろうと思いました。お母さん達の着物姿もバッチリ決まっているし、とにかく大変な筈だと同情してしまいました。但し、これも、何故ここに稚児の行列が必要なのか、それが分かりません。この行列の名前自体が「稚児行列」なのですから、一義的に稚児に意味がある筈です。—と言っても、目下のところは何も分かりません。(本来なら「半僧坊行列」又は「半僧坊感応殿行列」とか半僧坊に関係する名称で呼ばれて然るべきだと思いますが。)
行列の僧侶達が全員感応殿に入ったところで、境内及び通りの方までスピーカーを通して大音響で聞こえる読経が始まります。何事かと、びっくりする程の大きな音です。これは「大般若経転読」と呼ばれているもので、全員で六百巻もある経文をパラパラと扇を開くように動かしてそれで[読んだ事にする]法要の儀式です。
古式豊かな雅楽演奏が、平林寺以外どのようなスタイルで行われているかいろいろ資料を眺めてみました。それで分かった事は、寺院や神社、又は皇室に至るまで、古くから伝わっている行事を行う場合、必ずと云ってもよいくらい出番が出てくる楽隊だ、と云う事でした。古代のブラスバンドと思えば間違いなさそうです。
下に法隆寺の雅楽隊を参考に取り上げてみました。
雅楽は中国から朝鮮半島を経て日本に伝わってきました。それが奈良の仏教儀式に取り入れられたのは九世紀頃です。法隆寺にはそれらの儀式に使われた平安時代からの舞楽面が何点か残されていますが、それらの面の表情は中国風ではなくペルシャ風です。 舞楽法要は聖霊会(しょうりょうえ)を中心にして現在まで続いています。
中国から伝わった雅楽の更なる源流は勿論「胡の国」つまりペルシャです。日本はシルクロードの東の果てで吹き溜まりみたいなもの。この雅楽も当然ながら吹き溜まりの遺産です。
平林寺の半僧坊の雅楽隊の衣装、特に冠っている帽子のデザインがペルシャ風というのは分かるとして、鳥の形をしている点が奇妙です。その点が法隆寺と違っています。然し、それ以上の疑問点を解くのには限界があります。どなたか御存じの方の連絡をお待ちすることにしました。
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